何の変哲もない咲の地名紹介

動画を作ったもののブログ版です。さらにわかりづらくなるかも。最近は地名紹介以外の小ネタも多くなってます。文章がgdgdなのは仕様です。当面は不定期更新です。

関東

府中市にあるものから宮永照の「ギギギ」の元になりそうなものを妄想してみる

気がついたら4月。
プロ野球は始まってるし、春の選抜はもう決勝・・・。


TERU











今回は君の瞳にシャープシュート☆様が以前書かれていた記事とかぶりますが、宮永照のギギギについて府中市にあるものから少し妄想してみようと思います。

①宮乃咩神社(アメノウズメ)と大國魂神社説
これは君の瞳にシャープシュート☆様の記事の中にも書かれている天岩戸のお話に出てくる八百万の神の1人、アメノウズメが「ギギギ」に関わっているんじゃないか?とかいう妄想です。
アメノウズメは日本最古の踊り子と言われていて、芸能の神として祀られている神様です。
天岩戸のお話でも伏した桶の上に乗って胸丸出し・裳の紐(スカートのようなもの)を股下までズリ下ろして踊るというストリップも真っ青な踊りで他の八百万の神々を大笑いさせたと言われています。
そのアメノウズメを御祭神に祀っている神社も全国にいくつかあるのですがその中の1つが府中市にあります。
府中市に大國魂神社という東京五社の1つとされている、歴史的に格式が高いとされている神社があります。
(大國魂神社以外の東京五社は山王日枝神社・明治神宮・靖国神社・東京大神宮)
この大國魂神社の中に摂社として建てられている宮乃咩(みやのね)神社という神社があるのですが、この宮乃咩神社の御祭神もアメノウズメです。
この宮乃咩神社は演芸と安産の神様としてアメノウズメが祀られています。
大國魂神社と同じ頃(おおよそ1900年前)に建てられ北条政子も安産祈願にこの神社に訪れたこともあるそうで、「実は武蔵国総社は大國魂神社ではなくこの宮乃咩神社では?」なんて説も出ているとか。
7月12日から翌13日には宮乃咩神社の例祭として青袖祭・杉舞祭という神事が行われています。
また、宮永照の能力の1つに鏡で相手の特徴を見破るというものがありますが、大國魂神社の例大祭・くらやみ祭り(4月30日~5月6日)の神事の1つに「御鏡磨式」と呼ばれるものがあります。
5月2日に行われるこの神事は、神輿に付ける8枚の鏡を塩で磨いて清める儀式だそうです。
ただ、現在は神輿にはつけずにそのまま本殿に納めてしまうそうです。
こうして鏡とも繋がりのあることから、アメノウズメ並びに大國魂神社・宮乃咩神社が宮永照のギギギに関わっているのではないかな?というのがこの妄想です。

②新田義貞説
これは以前白糸台の紹介で書いた上染谷不動堂に祀られている阿弥陀如来像から、新田義貞がこのギギギに関わっているのでは?という妄想です。
新田義貞は鎌倉時代後期から南北朝時代に活躍した武将で元寇の乱で鎌倉幕府を倒した中心の1人。
府中市と新田義貞の関わりは新田が背負って戦ったとされるこの阿弥陀如来像だけではなく、府中市にある分倍河原の辺りで新田軍と幕府軍か激突した合戦があったとされています。
この分倍河原の戦いは実は新田側の負けだったのですが、翌日の関戸の戦い(現在の多摩市関戸)で新田側の逆襲が成功し幕府軍が壊滅的なダメージを負ったそうです。
ギギギに関してはこの分倍河原・関戸の後の稲村ヶ崎の突破が元になるのかな・・・と。
新田軍がこの稲村ヶ崎の突破から鎌倉へ進軍し鎌倉幕府を滅ぼしたのですが、この突破には諸説あってこの中の一つに稲村ヶ崎で干潮が起こりそこから突破したという説があります。
特に古典の太平記には「義貞が太刀を海に投じた所、龍神が呼応して潮が引く『奇蹟』が起こった」とまで書かれているそうで、これがモデルになってても・・・不思議ではないかなぁというのが新田義貞説の妄想です。


脈絡のない記事ですが、「こんなギギギの妄想があってもいいよね?」ということで、ひとつよろしくお願いしますorz
次回は、以前教えていただいた動画の紹介をしようと思いますがたぶん来週くらいになると思います。
なにぶん、結構長い動画なので。
それでは今回はここまで。

東京・南日ヶ窪中学校

1週間ぶりでございます。
皆様、阿知賀編最終回に向けていかがお過ごしでしたでしょうか。
自分もなるべく関西早売り前のネタバレを回避して他のブログ様の感想を楽しもうとしていたのですが・・・。
土曜日にネタバレ踏んでしまいました、pixivで・・・。
仕事の休憩中に個室に入って携帯でpixivの咲絵をポチポチ見てたら竜華が泣いてる絵があって思わず開けてしまったのが運の尽き。
タイトルが「【ネタバレ注意】敗退者たち(的な感じの。今はタイトル変わってます)」。
1ページ目に竜華がセーラの前で泣いている絵が、2ページ目には哩さんの胸で号泣する姫子の姿が。
まぁ、そのまま試合終了後の控え室の様子でしたね。
さすがにまとめアンテナ様で踏んだら「ま、いっか」となるのですが予期せぬところで踏んでしまったのは「おお・・・」ってなりました。
その時の個室内での自分はいちご



















まさにちゃちゃのんのこの状態でした。
最終話について皆様いろいろな感想があると思いますが、自分は面白かったなぁと思います。
細かいところを突き詰めていけばいろいろあるとは思うのですが、各々のキャラから発せられる「熱」が本当に熱くて好きでした。
4月の単行本の発売、楽しみに待っていたいと思います。

話は変わって。
阿知賀編の最後に「立さん×あぐりさん」コンビでの新作がビックガンガンで連載とありましたね。
そして昨日の立さんのHPにてその新作も咲関連という情報が出ました。
その下の方に中学生の淡の制服姿の絵が。
そしてその横に「南日ヶ窪中」の文字。
・・・週末に和深の記事という予定を変更して調べてみました。

南日ヶ窪は昔東京にあった地名で「麻布南日ヶ窪」という地名でした。
江戸時代の頃には既にこの地名的なものがあったそうです。
(参考出典:麻布細見様・麻布南日ヶ窪町)
正式な地名になったのは1878年に郡区町村編成法が施行され麻布区が出来た時だと思われます。
南ひがくぼ1














上記の麻布細見様の記事を参考にすると大体この辺りが麻布南日ヶ窪町だったとされています。
芋洗坂の坂下から鳥居坂の坂下周辺までの細長く小さい町だったようです。
毎日jp(毎日新聞のサイト)の昭和毎日というページには1956年時の東京の地図があって、そこにも南日ヶ窪町という地名が記載されています。
そこに載っている記事によると、南日ヶ窪町周辺は昔から金魚の養殖が盛んだったとか。
なんでも、この辺り一帯は湧水による池が点在していてこのあたりに住んでいた下級武士が副業として金魚の養殖を始めたそうです。
(参考出典:東京の水2009flagments様・六本木、麻布十番、元麻布の川跡(3)六本木ヒルズ〜麻布十番の流れ)
ブラタモリの最終回でも取り上げらていたそうで見る機会があれば見てみようかな・・・と思います。
ちなみに南もあれば北もあるわけで、北日ヶ窪町という地名もあったのですが今は北日ヶ窪のほとんどは六本木ヒルズに変わってしまったようです。

今回はここまで。
立さんあぐりさんコンビの咲関連の新作は何編になるんでしょうねぇ。
その辺り、楽しみにしながら続報を待ちたいですね。
自分の周辺がまだいろいろとバタバタしそうな状況でして、今後は更新ペースが今までより遅くなると思いますが今後共よろしくお願い致します。
それでは。

北神奈川代表・東白楽高校

ここ数日、鼻水が止まらなくてティッシュの減りがヤバイです・・・。

今回は1回戦4Bブロックの3校目、北神奈川代表の東白楽高校の紹介です。
東白楽1
















由来となったのは神奈川県神奈川区白楽(はくらく)にある東急東横線東白楽駅です。
神奈川区は横浜の手前辺りにあります。
東白楽2











白楽地区・東白楽駅に焦点を当ててみるとこんな感じです。
周辺には神奈川大学を筆頭に捜真女学校・県立神奈川工業高校などがあります。
で、この神奈川工業高校の中にもう1つ高校がありまして、拡大してみると出てくるのですが
東白楽












県立神奈川総合高校という高校が出てきます。
1995年開校の県内初の単位制を採用している全日制普通科の高校なのですがこの学校、神奈川工業高校の敷地内に併設されています。
食堂や図書館など一部の施設は2校共用になっているそうです。
実はこの学校の卒業生の中に
井上純











純くんの中の人、甲斐田裕子さんがいらっしゃいます。
甲斐田さん以外だと「だっちゅ~の」で流行語大賞を取った元パイレーツの浅田好未さんとかいらっしゃいます。

白楽という地名の由来は東海道五十三次の3番目の宿場である神奈川宿が白楽からもう少し海側に行った神奈川本町にあって、白楽のあたりには神奈川宿で馬の治療をしたり仲買をしたりする伯楽(馬喰・ばくろうと読みます)が多く住んでたことから伯楽が転じて白楽になったと言われています。
この白楽の隣に六角町(ろくかくちょう)という地区があります。
家系ラーメンの六角家の本店があったりデビュー前の矢沢永吉さんが住んでたとか言われている場所です。
ここは地名の由来として日本武尊のお話が出てきます。
日本武尊が東方へ赴く際にこのあたりを治めていた大伴久応という豪族の庵に泊まり、翌朝日本武尊が五位木という六角の木の箸で食事をしてその箸を久応に贈り、久応はその箸に「天照大神・日本武尊」と書いて日夜拝んでいたそうです。
そのことから「六角箸村」となり、のちに「六角橋村」になったと言われています。
参考:wikipedia・白楽駅内駅名の由来
参考:wikipedia六角橋

他には神奈川区は浦島太郎ゆかりの地ということも言われていて
東白楽4











東白楽駅の周辺にはこのように浦島伝説に因んだ地名がいくつかあります。
もっとも、浦島太郎ゆかりの地というのは全国にいくつもあるそうなのですが・・・。

横浜といえば三尋木プロの出身校もあるのですが、そちらはそのうちということで。
今回はここまで。
次回は4Bの4校目、和歌山県代表の和深高校の紹介になると思います。
それでは。

西東京代表・白糸台高校とチーム「虎姫」

まだまだ寒い日が続きますね・・・。

今回は西東京代表の白糸台高校です。
ご存知の方も多いと思いますがいきましょう。
白糸台1















由来となった地名は東京都府中市白糸台。
東京都のほぼ真ん中にあっては武蔵国の国府が置かれたり甲州街道の府中宿という宿場町になったりと古くから栄えていた場所です。

白糸台2














白糸台はおおよそこの辺りです。
調布市と隣接する場所にあります。
京王で新宿から府中へ向かうと白糸台が府中市の入口になります(駅は武蔵野台駅ですが)

白糸台の史跡でまず出てくるのが「白糸台掩体壕(えんたいごう)」といわれるもの。
これは調布飛行場(戦時中は陸軍の飛行場でした)に配備されていた戦闘機を空襲から守るために飛行場の周辺に作られたのが戦闘機を隠す掩体壕でした。

そのうちの1つが近頃整備されて公開されたそうです。

こちらより気になるのが上染屋不動堂(染谷不動尊)。
西武多摩川線の白糸台駅から府中方向へ少し歩いたところに「不動尊前」という交差点があってそのすぐ近くにこのお堂があるのですが、こちらに国の重要文化財に指定されている銅造の善光寺式阿弥陀如来立像が祀られていて年に2回御開帳されるようです。
参考:ミッキーの京王線沿線ぶらぶら日記様「国宝が眠る小さなお堂: 『染屋不動尊』」
参考:宿坊研究会様「第97回 「東京秘仏」散策会」
この阿弥陀如来像、元弘の乱における鎌倉攻めの際に新田義貞がこの像を守護神にして戦ったという逸話がありましてここから宮永照のもう一つの能力「(通称)ギギギ」と何かしら何かないかなぁと思ってぼんやり考えています。
「ギギギ」に関しては何かぼんやり思い浮かんだら小ネタで記事にしようかなぁと思います。

それから「チーム虎姫」
ちーむとらひめ












この「虎姫」というのも(意図して地名からとったのかどうかはともかく)実は地名だったのです。
これを知ったのは白糸台の地名の由来を探している時に偶然見つけた白糸台高校麻雀部後援会 兼 宮永照ファンクラブブログ様のトラヒメ…?という記事を見たのがきっかけでした。
その記事に「滋賀県に虎姫高校が実在する」という一文が・・・。

滋賀県立虎姫高等学校

ありました。虎姫高校。
で、なんでこんな名前の高校なのかというと2009年まで東浅井郡虎姫町という町が実在していたからなのです。
2010年の元旦に虎姫町を含む東浅井郡の4町がすべて長浜市に編入したため現在は虎姫町という名前はありません。
虎姫町















地図上でAのマークが付いているのはJR北陸本線虎姫駅です。
ここには駅名に虎がつくということから阪神タイガースのファンが切符を買いに訪れたりされるそうで、優勝した1985年や2003年はかなり多くのファンがこの駅に来たそうです(85年は虎姫駅発着の阪神ファン向け団体列車が運行されたほど)
ちなみにこの虎姫町には「五」や「酢」といった地名がありました。
参考:郵便局・郵便番号検索「東浅井郡虎姫町」
「五」は合併後「桜町」に地名が変わってしまいましたが「酢」はそのまま残っています。
旧虎姫町一帯の北側に虎御前山と呼ばれる山があります。
この山は古くは長尾山と呼ばれていて戦国時代には織田信長が小谷城の浅井長政を攻める際に最前線としてここに築城したことがあるそうです。
この虎御前山、ひいては虎姫町の由来となっている話が滋賀県観光情報局様の虎御前山の紹介にあったので一部引用させていただきたいと思います。

 昔、井筒(いつづ)という泉のほとりに住んでいた娘が、旅の途中に知り合った、世々聞(せせらぎ)という名の若者と愛し合うようになり結婚しました。ところが、顔は人間だが体は蛇という子を一度に15人も産んでしまい、嘆き悲しんだ末に、淵に身を投げて死んでしまったといいます。娘の名を虎姫(とらひめ)といい、この山が虎御前山あるいは虎姫山と呼ばれるようになった由来と伝えられています。

府中市白糸台と旧東浅井郡虎姫町のつながりは今のところ見えてこないのですが、今後何かしら見つけてくれる方が現れるかも?と思ったので一緒に紹介させていただきました。

余談ですが、阿知賀編を制作されているStudio五組が他に制作したアニメに「Aチャンネル」というアニメがありますがこのアニメ「Aチャンネル」の舞台になったのも府中市だったそうです。
・・・それにしてもこのAチャンネルのキャスト、ほとんど咲に出てるんですよねぇ。
メイン所9人中7人が咲にも出ているという。
(るん=衣・トオル=穏乃・ナギ=灼・ユタカ=文堂・ミホ=モモ・鬼頭先生=龍華・佐藤先生=ハギヨシ)
メイン所以外でも宥さんが出てたみたいです。
他にも「ちはやふる」の小学生編も府中市が舞台だったとか。

最後は脱線しましたが今回はここまで。
次回からは一回戦唯一結果不明の4Bのうち既に紹介した越野尾以外の3校を紹介していこうと思います。
北から行こうかなと考えているので次回はおそらく山形県代表の天童大附属高校になると思います。
では皆様、体調を崩さないよう気をつけて行きましょう。
そんなこと言ってる自分はここ2・3日偏頭痛で苦しんでます(´・ω・`)
それでは。

西東京・松庵女学院と多治比真佑子さん

立さん負傷・・・
ゆっくり休んでしっかり治して戻ってきていただきたいものです。

阿知賀19話、皆様のいろんな感想が上がっていますが自分的にはやはり新たに出てきた学校の地名に目がいってしまうもので。
多治比さん
今回は松庵女学院と多治比さんです。
まずは地名から。
松庵1

由来となったのは東京都杉並区松庵。

松庵2
この赤い部分が松庵地区です。
杉並区の西南部に位置していて武蔵野市と隣接しています。
この杉並区には全国に400社あるアニメ制作会社のうち、おおよそ70社が集中しているアニメ産業集積地の1つで、区にも「産業経済課アニメ係」が設けられているそうです。
杉並区にある制作会社はサンライズ・シャフト・A-1 Pictures・阿知賀編を制作しているStudio五組・制作協力されているNOMADなどがあります。

モデル校は高校名から松庵地区の僅か外にある立教女学院(杉並区久我山/卒業生に野際陽子さん・市毛良枝さん・松任谷由実さんなど)だと思われます。
松庵という地名は江戸時代にこの辺りの開拓を指導した荻野松庵という医師から付けられたそうです。
ここに西高井戸松庵稲荷神社という神社があります。
この神社には狐のミイラを祀った小祠があって、その由来は

昔、当稲荷神社の西側に円光寺と言う寺がありました。そばに大きな築山がありまして、 狐が穴を掘って小狐を育てていましたが、お寺が廃寺となり、明治30年頃、築山を取り去りましたので、
親狐は子狐と別れる悲しみのあまり、前足をくわえたままの姿で拝殿の床下から発見されました。
昭和9年に西高井戸・松庵両稲荷神社を合祀するに当り、本殿を造営し、さらに昭和36年末社を
建て、古来からお稲荷様のお使い姫と言い伝えられるこのお狐様をおさめてお祀りしております。

出典・西高井戸松庵稲荷神社HP
ということだそうです。

松庵に関してはここまでとして、ここからは多治比さんについて。
多治比さんという名字の方が現在どのくらいおられるのか名字由来netさんで調べてみたところ
たじひ
というかなり希少な名字だということがわかるかと思います。

で、この「多治比」という名字がどこから来たかというと多治比縣守(たじひのあがたもり)という奈良時代に武蔵国守としてこの辺り一帯を統治していた人物からとられたのでは?と考えています。
杉並区も元々は武蔵国の一部で明治・大正時代は東京市15区の中には入ってなく豊多摩郡杉並町という町で1932年の東京市の大合併により編入され杉並区になったそうです。
この多治比縣守は716年に遣唐押使(遣唐使)に任命され718年に使節団に犠牲者を出すことなく帰国するという業績をあげ翌年に新設された按察使(あぜち)の一人として武蔵国守に任命されています。
その後も720年に起きた蝦夷の反乱が起きた際に征夷将軍としてこの乱を鎮圧したりもしています。
(この件から縣守が初代の征夷大将軍ではという説もある)
Wikipedia・多治比縣守

多治比さん、このシーンのあとにものすごい表情をしていますがなかなかの強豪だそうなので今後も出てきてほしいな・・・。

今回はここまで。
次回はこの流れで白糸台やろうかな・・・とか考えていたのですが、ちょっと思うことがあって小ネタやります。
まぁ、今ちょっと個人的なことで記事の作成とか何かやってないと気が保てないので・・・。
ではこのへんで。
記事検索
  • ライブドアブログ