何の変哲もない咲の地名紹介

動画を作ったもののブログ版です。さらにわかりづらくなるかも。最近は地名紹介以外の小ネタも多くなってます。文章がgdgdなのは仕様です。当面は不定期更新です。

中部・北陸

岐阜県代表・斐太商業高校

先週、知り合いから誘われてニコニコ超会議へ行ってました。
自分の目当ては相撲だったのですが、岩手県のブースが出ていたので宮守絡みで何か県の方とお話できないかなぁ・・・と思って足を運んでみましたがコミックいわてという雑誌の販売しかしていませんでした。残念。
あとIEの問題の絡みでFirefoxを導入してみました。

今回は岐阜県代表の斐太商業高校の紹介になりますが、地名紹介という意味では不完全な部分が多いのでその辺りご了承の程よろしくお願いしますorz
sakiふしや











1回戦で姫松・鹿老渡・鞍月と対戦していた高校です。
画像は中堅だった伏屋那都さん。
伏屋という苗字も岐阜に多い苗字です。ただし岐阜市や岐南町といった愛知県に近い辺りに多い苗字のようです。

現在、斐太という表記の地名はありません。
ただし「斐太」という表記が使われているモノが多い場所が岐阜県飛騨市・高山市を中心とした飛騨地方と斐太神社がある新潟県妙高市と2ヶ所あります。
斐太1













今回は斐太商業が岐阜にあるので、岐阜側の方で書こうと思います。
この斐太商業高校のモデルは私的素敵ジャンク様を始め、他の咲ブログ様でも書かれているように氷菓の神山高校のモデルになった県立斐太高校だという線がかなり濃いです。
今回の全国編アニメ化で上記のように伏屋さんにも色がつきました。
aひょうか+みつる











一方こちらは氷菓の神山高校の制服。右上はロゴ隠しなので気にしないでください・・・
今回画像で登場した誰かと同じ苗字を持つサッカー選手ですえるさんの苗字、寝ぼけてて千代反田だと勘違いしてました・・・千反田でしたね。申し訳ありませんでした。ちなみに右上は徳島ヴォルティスに所属するDFの千代反田充選手です)
完全に一致してますね。
斐太3















実際着用されている斐太高校の制服との比較ですが、濃紺とグレーの違いはありますが形状は一致してます。

斐太高校は氷菓以外にもTOKIOの長瀬さん主演のドラマ「白線流し」の舞台の高校のモデルにもなっています。
(ただしドラマの舞台は長野県松本市)

斐太という地名は万葉集の頃にこの辺りのことを詠まれたとされる歌がいくつかあったことから始まる・・・とされています。
(2005年に高山市に編入された大野郡丹生川村の由来とされている「斐太ひとの まきながすてふ 丹生の川 ことば通えど 船ぞ通わず」など)
ただ、そのあたりの由来が調べてみてもなんか曖昧でうーん・・・という感じです。
一応「ひだ」と呼ばれた地名は古く昔からこの辺りにあった、というのは間違いではなさそうです(´・ω・)
万葉集の頃は「斐太」、国造本紀では「斐陀」、日本書紀では現在の「飛騨」という表記になっているようです。


今回はここまで。
なんかあんまり地名の紹介が出来てない記事になってしまいましたね・・・。
次回はこの1回戦の組み合わせの流れで石川県代表の予定です。
それでは。

西愛知代表・苅安賀高校

花粉症が治まったかなぁと思ったら風邪が引き金かまた鼻がズルズルと・・・

今回は西愛知代表の苅安賀高校です。
栢山4











2回戦で新道寺・白糸台・栢山学院と対戦していた高校です。 
池田ァが「なかなかだし!」とも言っていましたね。
おそらくこの塞さんみたいなおだんご頭の子が苅安賀だと思われます。 
苅安賀2













由来となった地名は愛知県一宮市苅安賀。
池田ァがかりやす「が」と言っていましたが実際の地名はかりやす「か」です。
あとで久保コーチにしっかり指導してもらいましょう。 
一宮市は愛知県の北西部にある都市で木曽川を挟んで岐阜県と隣接しています 。
2006年までは同じ愛知県内に一宮町(現在は豊川市に編入)があったため区別するために尾張一宮とも呼ばれています。
(一宮町の方は三河一宮)
苅安賀1












苅安賀はおおよそこの辺り。 
名鉄尾西線の苅安賀駅もこの中に入ります。

この苅安賀駅の近くに苅安賀自動車学校という教習所があるのですが、ここの片隅に苅安賀城址の石碑があります。
戦国時代~安土桃山時代、この辺りに 苅安賀城があったそうです。
1561年に浅井長貞が築城した苅安賀城は長貞の死後、息子の浅井長時(田宮丸)が後を継いだのですが織田信雄家臣でありながら羽柴秀吉に内通したとされ信雄に呼び出された上討ち殺されてしまいます。
このあと信雄は徳川家康と同盟を結び、小牧・長久手の戦いへと発展していきます。
この小牧・長久手の戦いでは信雄・家康軍の居城として尾張西部方面で重要な役割を果たしたようです。
また1590年の小田原討伐の際には秀吉の命で小早川隆景をこの苅安賀城などに置いて尾張地方の守備や後方の補給路確保などを任せたそうで、小田原市にある栢山学院と苅安賀にはちょっとした繋がりがあったようです。
(参考出展)
wikipedia・苅安賀城小牧・長久手の戦い

今回はここまで。
次回は3話でも出てきましたし、お隣ですし、岐阜へ行きましょうか。
その予定でこれから考えます。
それでは。 

福井県代表・甲ケ崎商業高校

この間の大雪には参りました・・・。
線路が見えなくなるくらい積もるとか初めて見ました。

アニメはこの間6話が放映されていますが、今回から3話の1回戦で出ていた・居たはずなんだけど名前も姿も無かった高校の紹介をしようかと思います。
今回は早速、その居たはずなんだけど全く出てこなかった高校ですが・・・福井県代表の甲ケ崎商業の紹介です。
甲ケ崎3




甲ケ崎商業は清澄1回戦の対戦相手の3校のうちの1校。
中堅で部長に飛ばされて敗退決定してしまった高校です。あの試合、どこが飛ばされたんでしょうね・・・。
佐賀県代表の能古見と鳥取県代表の千代水は既に記事にしていますので一緒に見ていただけると嬉しいです。
甲ヶ崎1












由来となった地名は福井県小浜市甲ケ崎(こがさき)。
江戸時代の頃はは甲ケ崎村という村で漁業以外に製塩の盛んな場所でもあったそうです。
小浜市は福井県の南西部、いわゆる嶺南地域にある都市で人口は約3万人ほど。
若狭国の中心部として栄え御食国(みけつくに)の1つとし海産物を京や大和に送っていたこともあり畿内との繋がりが深い地域です。

甲ヶ崎2














甲ケ崎はこの辺り。
小浜駅から国道162号線を北上したところにあります。
この甲ケ崎は小浜湾の主要漁港である小浜漁港と呼ばれる漁港の1つがある場所で釣りのスポットとしても人気の場所だそうです。
また、奈良に都があった頃には南蛮船が奈良などへ向かう際の玄関口として、江戸時代には北前船の停泊地だったとも言われています。
初めて象が日本に連れてこられた際に上陸したのがここ甲ケ崎とも言われていて、その象を繋いだとされる「ゾウつなぎ岩」というのもあるそうです。
(参考出典:若狭湾観光連盟「甲ケ崎」小浜市「沖の石・象つなぎ岩」

甲ケ崎4



















甲ケ崎の南東部には天ヶ城という若狭武田氏の守護代であった内藤氏が築き上げた山城跡がある山もあり、甲ケ崎からも登山ルートがあるようです。
(参考出典:越前・若狭の城と考古学様「天ヶ城(てんがじょう)は中世山城のお手本です」)
この天ヶ城は立地や地形から若狭国の要害として活躍したお城だったみたいです。

今回はここまで。
能古見や千代水より発見が少なかったような・・・。
あと今月来月はちょっと更新頻度が少なくなるかも。
アニメもあるのでなるべくいろいろ更新していこうとは思いますが・・・。
それでは。

長野・平滝高校と南浦さん家について

辻垣内さんは新免さんと巌流島で決闘をすればいいと思う。

今回は前回の記事を書く際に調べていて気になった南浦さんと南浦さんが通う平滝高校について書こうと思います。
まずは平滝高校。平滝1












由来となったと思われるのは長野県下水内(しもみのち)郡栄村豊栄にあるJR飯山線平滝駅。
栄村は長野県の北部にある村で東日本大震災の翌日未明に起きた地震で震度6強の揺れにより最も大きな被害が出てしまった村です。
平滝2












平滝駅は栄村役場の最寄駅で長野県最北端の駅である森宮野原駅から2駅飯山・長野方面寄りにある駅です。
栄村は日本でも有数の豪雪地で1945年2月12日には観測史上最高の7m85cmの積雪を観測したそうで、観測地点だった森宮野原駅の構内にはその標柱が建てられています。




雪がある時と無いときの平滝駅付近の車窓の動画を貼ってみましたが、冬は本当に雪に覆われた感じになります。

なんぽさん











ここからは南浦さん・・・というか南浦家についていくつか書いていこうかと思います。
南浦さんは祖父である南浦プロに引き取られて2人で暮らしています。
おそらく現在は2人で平滝がある栄村かお隣の野沢温泉村の辺りで暮らしているものと思われますが、前回の記事を作っている時に偶然南浦さんの名字を見かけて「ひょっとして南浦さんて長野の生まれではないのでは・・・?」ということを思ってしまったので3つほど南浦さんのルーツっぽいものをダラダラと書いてみようと思います。

①南浦家、宮崎or鹿児島県民説
これは前回の記事で八雲様からいただいたコメントを参考にさせていただきました。
ありがとうございました。
安土桃山時代~江戸時代の初めの方にかけて実在した南浦文之(なんぽぶんし)さんという僧侶が元になっているのでは?という説です。
この方の元々の名字(俗姓)は湯浅だったそうで、この南浦という名字は出生地である日向国飫肥(おび)の南郷外浦から取って「南浦」としたようです。
南浦5











南郷外浦は現在の宮崎県日南南郷町の外之浦港の辺り(赤で〇を書いた所周辺)だと思われます。
江戸時代には島津家に仕え、島津家久(忠恒)か創建した大竜寺の開山をしたり明や琉球の外交文書を司っていたりしていたようです。
南浦文之さんのお墓は永水女子がある霧島市のお隣、鹿児島県姶良市加治木町にある安国寺の墓地にあり国の史跡に指定されています。

②と③については「みなみうら」読みになります

②南浦家、奈良県民説
これは前回の記事を調べている時に偶然見かけたのですが、南浦という名字は奈良県で多く見られる名字だそうです。
名字由来net様で「南浦」と検索して都道府県ランキングを見てみると
南浦6




奈良県だけこのように出てきます。
ちなみに解説にも
南浦7



このように奈良がルーツになっているという解説が出てきます。
この大和国十市郡南浦村は現在の奈良県橿原市南浦町だと思われます。
南浦2












橿原市は奈良県中部にある奈良第二の都市で日本最初の都城(とじょう)と言われる藤原京があった場所と言われています。
南浦3











南浦町は橿原市の南東の位置にあり大和三山の1つ、天香久山があります。
奈良で多く見られる名字は咲-Saki-ほんだし様の「咲-Saki-キャラの名前もろもろ1:地域性編」の記事に書かれている通り(今気づきましたが、大人組の名字記事はもろ被りでしたね・・・申し訳ありません)阿知賀or晩成の生徒の名字として登場するのですが、唯一の例外がこの南浦さんです。
ちなみに初瀬ちゃんの「岡橋」も奈良で多く見られる名字で、憧ちゃんの「新子」と同じ橿原市で特に見られる名字だそうです。
前の記事でリンクを貼った都道府県の特徴的苗字一覧様が今なぜか閲覧できない状態なのでアレですが・・・。

③南浦家、やっぱり長野県民説
②で南浦という名字は奈良がルーツで現在も奈良で多く見られると書きました。
では、長野に南浦という地名は無いのか調べてみると・・・ありました。
場所は長野県長野市鬼無里(きなさ)にある南浦という集落。
南浦4












鬼無里及び鬼無里日影地区は2005年に隣接していた戸隠村などと共に長野市に編入合併されるまで鬼無里村という村でした。
この辺りも積雪量が多く平滝がある栄村と共に特別豪雪地帯に指定されています。
この鬼無里には数多くの伝承があり、遷都伝説や紅葉伝説・木曽義仲の伝承などが代表的なものとして伝えられ、歌や漫画・小説など複数の創作物の舞台にもなっているようです。
南浦1














南浦の集落は神地沢という川(?)に沿って鬼無里から小川村へ抜ける小さな道の途中にある集落で、そこには南浦のイチイという市の天然記念物にもなっている大きなイチイの木があります。


以上3つ、まとまり無く書いてみましたがいかがだったでしょうか?
どれかが正解かもしれないですし、全部見当違いかもしれません。
それは・・・南浦プロのカードが出たときにわかるんでしょうねぇ。

次回は中四国の代表校の紹介に戻って、冒頭に出てきた新免さんの讃甘高校の紹介をやろうかなと考えています。
それでは、明日は24時半から阿知賀編最終話をまったり見たいと思います。

三重県代表・宇気郷高校と少し雑感

今日は地震が多くて怖いですね・・・。

今回は三重県代表・宇気郷(うきさと)高校の紹介です。
由来となった地名は昭和30年まで存在した一志郡宇気郷村で現在の松阪市柚原町・後山町・与原町・飯福田町・嬉野小原町・嬉野上小川町が宇気郷村だったと言われています。
宇気郷2












松阪市は三重県の中部にある都市で合併を繰り返した結果、現在は伊勢湾に面した地域から奈良県との県境(宇陀村・東吉野村)に接した地域まで及び県内では津市に次ぐ2番目に面積が広い自治体になっています。
宇気郷村があったのはおおよそ小さく丸をしてある辺りです。
宇気郷1













宇気郷村は昭和30年に合併によって消滅したのですが、その際に東部の柚原・後山・与原・飯福田地区は松阪市に、西部の小原・上小川地区は当時の周辺地域だった村々と合併し嬉野町に編入されました。
この嬉野町も2005年に松阪市と合併したため、一度2つに分かれた宇気郷村は現在はまた1つになっています。

この地域には嬉野小原町に宇気郷小学校があったのですが、1991年に休校・2004年に廃校になってしまいました。
この小学校は現在公民館として利用されているそうで、宇気郷地域の自動はスクールバスで松阪市立豊地小学校に通っているようです。
参考出典:松阪市立豊地小学校

最近では今年公開された映画「きいろいゾウ」のロケ地にもなった宇気郷ですが、この地域に飯福田(いぶた)寺という寺院があります。
この飯福田寺、701年に役小角が開基した霊場で金剛峯寺や吉水神社も名を連ねている役行者霊蹟札所会にも紹介されている霊場です。
役小角といえば、阿知賀女子の大将にして阿知賀編の主人公である穏乃と関連があるのでは?とまとめアンテナ様で紹介されている他のブログ様でも多くのすばらな記事にて紹介されている方です。
ちなみにこの701年というのは699年に流罪で伊豆島に流されていた役小角に大赦があった年であり、また大阪の箕面にある天上ヶ岳で入淑(死去)した年であるとされています。
参考出典:役小角
おそらくこの飯福田寺は役小角が伊豆島から生まれ故郷の葛城に帰る際に開かれた霊場なんだと思います。


こうして見てみると近畿+三重の出場校は吉野・熊野に大なり小なり接点があるものがいくつかあるなぁ・・・と。
今回の宇気郷の他にも京都の八桝には北大峯と呼ばれた峰定寺が、和歌山の和深には熊野の丸石信仰が伝わる徳大明神社があります。
他には私的素敵ジャンク様のこのすばらな考察記事にて紹介されている怜の名字の元になっている滋賀の園城寺も少し吉野と接点があって、この寺を開基した大友与多王の父親・大友皇子(弘文天皇)が大海人皇子(後の天武天皇)と敵対して壬申の乱が起こるのですが、その直前(天智天皇が崩御される直前)に大友皇子を推挙して大海人皇子が出家を申し出て下ったとされる場所が吉野であると言われています。
かなり薄い接点ですが・・・。

今回はここまで。
地名紹介は次回から中四国をメインに他所も少しつまみ食いしつつ進行していく予定ですが、次回は小ネタの記事になります。
おそらく今週中に更新できるかなぁ。
それでは、地震の被害が無いことを祈りつつ。
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