まとめアンテナ杯が行われるそうですが自分は参加できません(´・ω・)
日曜お仕事ですし今月は別件の調べ物でいっぱいいっぱいでして・・・
今回は去年、1年生ながらインターハイ個人戦2位になった荒川憩さんのいる大阪・三箇牧(さんがまき)高校の紹介になります。
由来となった地名は大阪府高槻市三箇牧。
高槻市は大阪府の北部、いわゆる北摂と呼ばれる地域にあります。
大阪市と京都市の中間に位置していると言われており市章も大阪市と京都市の市章を合わせたデザインになっています。
三箇牧は高槻市の南端の少し不自然に尖ったような所の中にあります。
この辺りは旧三箇牧村として1955年に高槻市と合併するまで1つの自治体でした。
三箇牧村は1889年に西面(さいめ)村・柱本村・唐崎村・三島江村の4つの村が合併してできました。
(参考出典:市町村アーカイブス様「大阪府島上郡三箇牧村の変遷」)
この1955年(昭和30年)前後というのは多くの自治体が合併を行っていた年で以前の記事でもちょこちょこ出てきている年だったりします。
1955年と同じく多くの自治体で合併を行った2005年はおそらくこれからも出てくると思います。
余談ですが、自分の地元も2005年の合併で町が消滅してしまいました。
この三箇牧はトマトの産地として有名でグーグルさんで「三箇牧」を検索したところ・・・
荒川さんよりも上にトマトが出てきました(もしかしたら自分の環境だけ?)
高槻市のサイトでも紹介されていますし、大阪ミュージアムショップという大阪府のネット通販によるアンテナショップにも三箇牧のトマトが販売されていますので荒川さん好きで気になった方はいかがでしょうか?(なお現在は売り切れ中の模様)
話は変わって、荒川さんといえばナース服。
というわけで、大阪の看護科のある高校を調べてみたのですが高槻市にはありませんでした。
ちなみに、高槻市にある高校の1つに大冠高校という高校があるのですがここの卒業生に
須賀くんの中の人、福山潤さんがおられます。
福山さんの他にはシャンプーハットの小出水さんも大冠高校の卒業生だそうです。
話を戻して、大阪府内で看護科がある高校は藍野高校と樟蔭東高校という両方共私立の2校あります。
2003年までは白菊高校という看護科のある公立校があったのですが、准看護師養成課程の教育時間延長などの要因から廃校になってしまったそうです。
藍野高校と樟蔭東高校のうち、茨木市にある藍野高校が茨城市と高槻市の境界にほど近い場所にあるので藍野高校が三箇牧高校のモデルになっているのでは・・・?と考えていますが2007年開校と比較的新しいのでその辺りは微妙な感じです。
ちなみに場所はこの辺りです。
もう1つの樟蔭東高校は東大阪市にあります。
(叶恭子さんが卒業生で元Hysteric BlueのボーカルTamaさんも在籍していたそうです)
今回はここまで。
日付変わって今日5月12日は看護の日だそうなので荒川さんの三箇牧高校の紹介をするにはちょうど良かったのかな?
次回は小ネタというより息抜きネタということでああ、あの牌様が昨日記事にされていた検索フレーズの紹介でもしようかなぁ・・・と考えています。
それでは今回はこの辺で。
近畿
QHKQK(急に配信が来たので急に更新)
明日15話がニコ動で配信されるということを知ったのが昨日。
というわけで、今回は滋賀県代表・富之尾高校の紹介です。
由来となった地名は滋賀県犬上郡多賀町富之尾。
多賀町は滋賀県東部にある町で西側は琵琶湖に程近い平野部、東側は鈴鹿山脈の西麓にあたり岐阜・三重両県の県境に接しています。
富之尾は西側の平野部側にあります。
tyutaの咲-Saki-ブログ様のこの記事で紹介されているように「けいおん!」の聖地豊郷小学校の旧校舎がある豊郷町が近くにあります。
富之尾に何かあるかな・・・と探したところ「大瀧神社」という神社にあたりました。
この大瀧神社は「滝の宮」として親しまれ、多賀町の名前に通じているとされる多賀大社の奥宮という位置づけの神社で鈴鹿山脈から多賀町を流れて琵琶湖へ注ぐ犬上川のそばにあります。
この大瀧神社の社前の辺りの犬上川の渓谷は「大蛇の淵」と呼ばれ、秋になると紅葉のライトアップが行われたりする景勝地にもなっています。
この大瀧神社には「犬胴松」という今は枯れてしまった松があるのですが、これには伝承のような話があります。
その昔、犬上・式部二族と云われます稲依別王命は、日頃より猟を好まれ猟犬小石丸を引き連れ山間を徘徊されていた処、偶々この渓谷の淵に往来の人々に危害を加える大蛇がいる事を聞き及び、退治せんものと愛犬を伴い渓谷を探し続けた。
七日七夜を過ぎ、仮眠中の危急を知った小石丸が吠えたてる事頻りなれば、命は怒り、腰の剣で一刀のもとに愛犬の首をはねると、首は岩影より命に襲い掛からんとする大蛇の喉にしっかり咬みつき、大蛇は遂に淵に落ち悶死せり。命は大いに驚き、この愛犬忠死に深く感銘し祠を建て之を祀り給う。 これ犬咬明神である。
斯くして命を救った忠犬の霊を犬胴塚に葬り、其処に松を植えられたのが犬胴松である。 今は枯れ果てその面影を残すのみであったが、お堂を建立してその霊をお祀りするものである。
(参考出典:延喜式神社の調査様「大瀧神社」)
この稲依別王命(いなよりわけのみこと)は日本武尊の子で後にこの辺りを本拠とする犬上氏の祖先とされています。
犬上氏には最後の遣隋使及び最初の遣唐使を務めた犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)がいます。
ちなみにこの犬の頭の部分が祀られている場所は諸説あり、大瀧神社から大蛇の淵を挟んだ対岸に祠を建てた説や豊郷町にある犬上神社がそれだという説があったりします。
今回はここまで。
次回は近畿地方をやった流れでお隣の三重県代表・宇気郷高校の紹介をする予定でいます。
そのあとは・・・近畿を中心にやるために飛ばしていた中四国をやりつつ他所もつまみ食い的に紹介という流れになるかなぁ・・・。
それではこの辺で。
明日は15話見るぞー。
今回は京都府代表・八桝(やます)高校の紹介になります。
由来となった地名は京都府京都市左京区花脊八桝(はなせやます)町。
左京区は京都市街地の東北方、鴨川の東岸から北方の鞍馬などの山間部を含む広大な面積を有し、滋賀県と隣接する場所にあります。
花脊八桝町はその山間部、府道38号線をひたすら北上したところにあります。
途中、鞍馬寺を通りすぎますが、そこからぐんぐん山道を登っていきます。
どんな感じなのかは
この府道38号線を走破した車載動画を見ていただければ大体の雰囲気は掴めると思います。
八桝を含む花脊地区はPart1の後半からPart2の冒頭辺りに出てきます。
この花脊地区は昭和24年に京都市左京区に編入合併されるまで愛宕(おたぎ)郡花脊村という村でした。
範囲としてはおおよそこんな感じ。
八桝を含め4つの地区があって、現在も「花脊○○町」という形で残っています。
八桝自体はあまり目立ったものが無く(花脊山村都市交流の森という施設がある程度)で八桝小学校という学校があったのですが、こちらも2007年に廃校になってしまったようです。
ただ、八桝の北にある花脊原地町にある大悲山峰定寺(だいひざんぶじょうじ)というお寺が少し繋がりがある感じなので併せて紹介しようと思います。
峰定寺は1154年に鳥羽上皇の勅願により西念という僧が創建した修験道系の山岳寺院で、本堂や仁王門の造営には信西(藤原通憲)と平清盛が当たったと言われています。
西念自身が大峯山や熊野で修行を積んだ修験者で、大悲山の中にも行場が点在し古くから修行の場であったことから「北大峯」と呼ばれていたそうです。
元々、この峰定寺が出来る前からこの辺りは「北方浄土」と言われていたそうで昔からそういった山岳信仰の対象として崇められていたようです。
大峯山は広義では阿知賀の舞台となった吉野山を含む大峰山脈を指すと場合もあるそうで、その吉野と熊野を結ぶ修行のための道として大峯奥駈道という道もあります。
峰定寺は一時期荒廃していたものの江戸時代に再興されそれ以降は同じ左京区にある聖護院の本山修験宗の寺院になったそうです。
ちなみに、この聖護院を創建したのが園城寺の僧だった増誉。
左京区には、高鴨神社を総本社とする賀茂神社の1つである下鴨神社もあります。
峰定寺の境内には「俊寛僧都供養塔」というものがあります。
俊寛は平安時代後期の僧で鹿ケ谷の陰謀で鬼界ヶ島に流されそこで命を絶ったと言われています。
実はこの俊寛が流された後、妻子が身を隠し、また妻子ともに亡くなったとされるのがこの大悲山周辺であったそうで、それが俊寛の供養塔がこの峰定寺に建てられた理由だと思われます。
この鬼界ヶ島の場所というのも諸説あって、その中にある鹿児島県の喜界島・硫黄島は永水女子の滝見さんの出身地と言われています。(参考出典:咲-Saki-ほんだし様「サキビアの泉」)
この峰定寺、日本最古の舞台造り(懸造り)で建てられた建築物だそうです。
ちなみに積雪の関係で12月~3月は閉門されています。
また、4月~11月の間でも悪天候時は入山不可、子供や20名以上の団体も入山不可という厳しい決まりがあるようです。
訪れる機会がある方は御注意を。
今回はここまでです。
八桝は阿知賀・千里山・永水女子と繋がりがある場所・・・かもしれません。(千里山はかなり強引ですが)
次回は近畿のラスト、滋賀県代表・富之尾高校の紹介の予定です。
それでは。
今回の記事の参考出典
京都観光Navi様「観光ルート:花背から大悲山へ」
平家物語・義経伝説の史跡を巡る様「大悲山峰定寺 (俊寛僧都供養塔) 」
京都を感じる日々★古今往来Part1・・・京都非観光名所案内様「峰定寺(ぶじょうじ) 」
新情報がいろいろ出てきますね。
今回はブロック4Bの最後の1校、和歌山県代表の和深高校です。
由来となった地名は和歌山県東牟婁(むろ)郡串本町和深。
串本町は本州最南端にある町で近畿地方の天気予報でよく見かける潮岬もこの串本町にあります。
串本町は明治40年に串本村から串本町に変わったのが元で串本村時代から西牟婁郡の属していたのですが、2005年に東牟婁郡古座町と合併して新しい串本町になった際に東牟婁郡に移ったそうです。
ちなみにこの旧古座町出身の有名人に明石家さんまさんがおられます。
ちなみに和深はこの位置。串本町の西側にあります。
和深自体はあまり目立ったものが無く、牟礼山という400m弱の山がきれいな円錐形の形をしているために和深富士と呼ばれて旧和深小・旧和深中の校歌の中で歌われていたというくらいでしょうか。
ただ、和深には漁港があり釣りのスポットとして知られているそうです。
また大正末期に起きた良栄丸遭難事故という乗組員全員が亡くなってしまった海難事故で、遭難してしまったこの良栄丸の船籍があったのが当時の和深村だったそうです。
串本町全体に目を広げると、串本町の海岸部は吉野熊野国立公園の一部に指定されています。
吉野熊野国立公園は大きく分けると山・河・海と分けることができるのですが、山の部分は阿知賀女子のある吉野山が北端になっています。
他には串本町江田にある徳大明神社には丸い石が境内にいくつか置かれています。
説明を見ると、熊野は山梨の甲斐地方についで丸石を信仰する風習が多く見られる地域だそうで、この徳大明神社のほかにも那智勝浦町の飛瀧神社(ひろうじんじゃ、熊野那智大社の別宮で拝殿の代わりに那智の滝を直接拝む神社)の「光が峯遥拝石」や田辺市本宮町の乳子大師の「乳古良(ちごら)石」や奈良県十津川村の玉置神社の「玉石社」など丸石を信仰する風習が熊野に根付いている証のようなものが多く見られます。
(参考出典)
きのくに風景賛歌様:徳大明神社と丸石信仰
巨石巡礼様:玉置神社と丸石
今回はここまで。
この丸石信仰から何か無いかなぁとか考えたのですが思いつきませんでした・・・。
次回は小ネタで「君の瞳にシャープシュート☆」様が書かれていた宮永照のギギギーってなんだ?とモロ被りになりますが、府中に関わりのあるものから考える宮永照の「ギギギ」的なものを書くと思います。
早ければ今週の木曜日、遅ければ来週の今頃の更新になると思います。
それでは。
追記
本日祖父が他界しました。
先月祖母が亡くなって1ヶ月ちょいですか・・・立て続けに祖父も逝ってしまいました。
更新に関してですが、このあと葬儀とか諸々ありますので3月中の更新はありません。
次回は4月に入ってからになります。
次回の記事は宮永照のギギギについての予定でしたが、予定を変更して以前教えていただいた動画の紹介をしようと思います。
ギギギに関してはその次にやる予定です。
そのあとはまた3校程の紹介→小ネタという流れになるんじゃないかなぁ・・・と。
3月はあまり記事を書けませんでしたが、4月からまたボチボチ書いていこうと思っています。
申し訳ありませんが、今後ともよろしくお願い致します。
それでは。
まぁ、AT-X見れないのでどちらにしろ見れないのですがね・・・。
それからまとめアンテナ様の掲載サイトが100サイトを超えたそうで、おめでとうございます。
1ヶ月ちょい前に自分がまとめアンテナ様に掲載されたのが77番目(だったかな?)
すごい勢いで増えていますねぇ。
今回は劔谷高校の説明です。
由来となった地名は兵庫県芦屋市劔谷
高校の読み方は「けんたに」ですが、実際の地名の読み方は「つるぎや」です。
この劔谷ですが、実際はどんな場所かというと
ほとんどが森林です。
下側に森林ではない部分がありますが、ここも芦屋市霊園という墓地なので民家はパッと見る限りありません。
この劔谷に隣接する六麓荘町地区は関西でも有数の高級住宅街として有名な場所です。
またこの辺りは隣接する西宮市苦楽園地区も含めて学校が多数ある文教地区でもあります。
この劔谷地区にも市立芦屋高校という高校があったのですが、2007年に廃校になってしまったそうです。
この赤で囲ったところが市立芦屋高校があったと思わしき場所です。
劔谷高校のモデルとなった高校ですが、動画では甲南女子高校と書きましたがおそらく六麓荘町にある私立芦屋学園高校かなぁ・・・と現在は考えています。
現在は共学ですが2006年3月までは女子高でしたし。
ただ芦屋学園の制服が
劔谷というよりは白糸台という制服なんですよね。
で、制服はどこに近いのかなと探したところ、県立芦屋高校の制服に色合いが近いなと。
ただし、スカートはチェック柄ですがね・・・。
という訳で、場所は芦屋学園・制服は県立芦屋をモデルにして私立の女子高にしたのが劔谷高校・・・というのが自分の考えです。
基本的に咲に出てくる高校は○○女子とかが付いてる学校以外は共学だと思っているのですが、劔谷だけは例外な気もしています。
部長の梢さんはものすごく丁寧は話し方ですし、10話で出てきた椿野さんが住んでるところも
灘区土山町と御影山手の境にあってここも有名な高級住宅街です。
こんなところに住んでみたいですね・・・。
しかもこんなに広大なお屋敷(青丸で囲ってあるクラブ・アンクラージュ御影という施設兼住居が椿野家のモデルだと推測)に住んでるので、通っているのは公立というよりは私立のお嬢様学校というのがしっくり合う気がします。
椿野さんの家の近くには親和女子高校(卒業生に藤原紀香さんや平松愛理さんがいます)という女子高があるのですが、ここには茶道部(劔谷的には茶道兼麻雀部でしょうか)が無いので椿野さんは芦屋の方まで通っているのかもしれません。
今回はここまで。
次回は劔谷ともう一箇所の調べ物をしてしまったせいで後回しになった長崎県代表・根獅子女子高校の説明です。
今回は土地の歴史の説明というよりは聖地の説明って感じになってしまいましたね(´・ω・`)