何の変哲もない咲の地名紹介

動画を作ったもののブログ版です。さらにわかりづらくなるかも。最近は地名紹介以外の小ネタも多くなってます。文章がgdgdなのは仕様です。当面は不定期更新です。

中国・四国

島根・湯町小学校と北堀小学校と古浦小学校

新年早々風邪引きました。
今もダルいです。
日曜仕事だったので咲全国編見れてません・・・
おそらくニコ生で1週遅れでついて行くパターンですorz
そんな2014年ですが、今年もよろしくお願いします。

今回はシノハユで登場した3つの小学校の紹介とちょっと気になったことについて書こうと思います。

まずは慕と閑無が通う湯町小学校。
湯町
















由来となった地名は島根県松江市玉湯町湯町。
元々は八束郡玉湯町だった場所で2005年の3月に周辺の町村と共に松江市と合併して現在の地名になっています。
0話だったり1話の表紙になった場所(玉湯町玉造)と隣接しています。
この湯町と玉造の境界部の辺りには花仙山という標高200m弱程の山があるのですが、この山で採れるめのうを使った勾玉が古来より生産されていて三種の神器の一つである八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)も花仙山で採れためのうを使って作られたと言われています。

【気になったこと】
・閑無という名前
これは出雲国風土記に出てくる「神名火山」から取られたのかなぁ・・・と。
「かんなび」は神が隠れこもれるという意味で、信仰の対象とされていた山々だそうです。
出雲の「かんなび山」は4つあって表記が山によって違うのですが宍道湖を取り囲むように四方にあったとされています。
参考出典:島根県HP「神名火山(かんなびやま)」

・慕と鳥
慕と言えば一索というイメージが現在のところあると思います。
ただ、松江と鳥を繋げるものは今のところ見つけられていません。
宍道湖はラムサール条約に登録されている湿地だそうで、色んな鳥が飛来するそうなんですが・・・。

この2つに関してはさくやこのはな様の『シノハユ』と一索の鳥、あと『万葉集』とか。『シノハユ』と動物・三題を読んでいただく方が良いかもしれません(´・ω・)


続いてはやりんの北堀小学校
北堀











由来となった地名は島根県松江市北堀町。
見たまんま、松江城の堀の北側にある地名です。
松江城は山陰地方では唯一、天守閣が現存するお城だそうです。
この北堀町には塩見縄手という通りがあって、ここには松江藩第7代藩主である松平不昧(ふまい)公(松平治郷・不昧は茶人としての号)ゆかりの古庵「明々庵」や小泉八雲の旧邸などが並んでいます。

【気になったこと】
・松江城の人柱伝説
その小泉八雲がまとめた話の1つに「人柱になった娘」というのがあります。
これは松江城の天守台の石垣が何度も崩落してしまい、「人柱がないとダメだ」という意見が出たので盆踊りを開き、最も美しくて踊りがうまかった少女が人柱の対象になり無理矢理生き埋めにして石垣を築いたというお話。
その後すぐに当時の城主であった堀尾家の親子が相次いで亡くなってしまい断絶してしまったそうで、この少女の祟りだと恐れられたそうです。
また、盆踊りを行うと城がグラグラと揺れるという言い伝えもあり城下では盆踊りを行わなくなったとも伝えられています。
参考出典:Wikipedia「松江城」より人柱伝説
はやりんと言えば、「はやしこ」。そのパートナー、戒能プロの称号が「The Spook(幽霊)」。
さすがにはやりんか戒能さんが幽霊・・・なんてことはないと思いますが、この辺りに何か新しい繋がりが無いかなぁ・・・と今考えています。

ちなみに湯町と北堀と高校の朝酌の位置関係はこんな感じです。
北・湯・朝












はやりんの北堀からは自転車でも通えそうな距離です。
慕と閑無の湯町からも電車で松江→バスで通えそうですね。
たぶん1時間かからないでしょう。

最後に松江こども麻雀大会唯一決勝で唯一残った男の子、向村くんの古浦小学校も軽く。
古浦












由来となった地名は島根県松江市鹿島町古浦(こうら)。
ここも元々は八束郡鹿島町だった場所で玉湯町と同じ日に松江市と合併して現在の地名になっています。
このあたりには古浦海水浴場があり、夏には多くの海水浴客で賑わうそうです。
また、この海水浴場の辺りは屋根に石州瓦を用いた家屋が集まり景観の良い街並みが保たれているようで去年の4月には新聞でも紹介されていました。
さきむらくん






海の子(かどうかはしらんけど)向村くん、再びの出番はあるのでしょうか?

今回はここまで。
次回ですが日刊・咲-Saki- 様からお題を頂きまして、「自分なりに精一杯、考察(?)記事の書き方」でも書こうかと考えています。
っと言っても、あまり真っ当な考察記事書いてないのでお役に立つかはわかりません。
たぶん、役に立たないと思いますが・・・。
それでは、今週末は寒波がやってくるとのことですので皆様体調を崩されぬ様ご自愛くださいませ。

鳥取県代表・千代水高校

最近機種変更をしてガラケーからスマホに変えました。
ただしiPhoneではないのでビッグウェーブには乗れていません。

今回は鳥取県代表・千代水高校の紹介になります。
清澄高校が1回戦で当たった中の1校です。
千代水1











由来となった地名は鳥取県鳥取市千代水(ちよみ)。
県庁所在地がある市の地名から付けられた代表校はあまり多くなく、おそらく全部で10校ちょいくらいでしょうか。
千代水2










千代水はこの赤いところです。
最寄駅は鳥取駅のお隣にある湖山駅。
もう1つ隣の鳥取大学駅に行くと鳥取大学の周辺に高校が3つ(鳥取商業・鳥取湖陵・鳥取緑風)があるのでおそらくモデルはこの辺りでしょう。
このうち鳥取商業の卒業生には「孤独のグルメ」の作画の谷口ジローさんがおられます。
千代水3













この千代水という名前は元々は、1953年に鳥取市に合併されるまで存在した気高郡千代水村という村でした、
この千代水村の地区の1つだった秋里地区というところがあるのですが(現・鳥取市秋里)、この地区は北海道の利尻島と交流があります。
明治時代、北海道の開拓のために各地から士族などの移住が行われていて、鳥取でも明治17年以降、度々北海道への集団移住が行われました。
その北海道への出発地が千代水からもう少し北へ行った賀露の港で記念碑もあるようです。
最初は釧路や岩見沢への移住が中心で、釧路市には鳥取北・鳥取南という地名が残っています。
その後明治20年頃からはその他の地への移住も増え、特にニシン漁の漁場を求めて稚内や利尻へ移住する漁民が多かったようです。
その中に、千代水村の秋里から利尻島へ移住した人達がいてその方が鳥取東部でよく舞われる麒麟獅子舞を伝えたそうです。

麒麟獅子舞は普段よく見る獅子舞よりゆっくりと舞います。
利尻での麒麟獅子舞は大正中期に舞われなくなったのですが近年復活し、このことが現在の交流のきっかけになったそうです。
(参考出展)
賀露神社様「千代水の神社・荒木三嶋神社」
鳥取ロータリークラブ様「利尻島へ渡った麒麟獅子」

今回はここまで。
これで中四国編完了です。
次回は1つ小ネタ的なものを挟んで関東の穴埋めに移る予定です。
それでは。

香川県代表・琴南高校

先週、プロ野球のドラフトでわーわーやってたら手を痛めまして更新が遅くなりまして(´・ω・)
今もリストバンドつけてクッション付きのマウスパッドを使用しています。

今回は香川県代表の琴南高校の紹介になります。
読み方は「ことなみ」です。「ことみなみ」と読むと佐渡ヶ嶽部屋の力士みたいになるので気をつけましょう・・・と思って調べたら実際に「ことみなみ」という力士がいたそうです。
琴南1














由来となったのは香川県仲多度郡まんのう町。
このまんのう町は2006年に3町が合併してできた町なのですが、そのうちの1つである琴南町が由来となっています。
この琴南町と満濃町・仲南(ちゅうなん)町の3町が合併しました。
琴南2














3町の位置関係を大雑把に分けるとこんな感じです。
琴南町は面積の大半が竜王山と大川(だいせん)山が占めています。
この2山は共に香川県と徳島県の境界に位置する讃岐山脈の一部として数えられていて、標高はどちらも1000mを超えています。
(竜王山=1059.8m、大川山=1042.9m)
ちなみに香川県内で1000mを超す山はこの2つだけだそうで、その2つがどちらも琴南町にあるということになります。
竜王山には竜王神社が、大川山には大川神社が鎮座しており(竜王神社は現在は麓の方に移されたそうです)共に雨乞いの神様を祀っているそうです。
竜王山は香川県唯一の一級河川である土器川の源があり、大川山にもその土器川に合流する野口川があるので昔から香川県の数少ない水源の1つとされているようです。
(香川の水源の中心は高知にある早明浦ダムですが・・・)

土器川の上流(源~野口川合流付近まで?)は明神川とよばれているそうで、竜王山の中腹のこの明神川沿いには美霞洞渓谷があります。
この辺りは昔大蛇が住んでいたという言い伝えや大干ばつが起きた時に弘法大師(空海)が雨乞いの祈願をしたとも言われています。
また、温泉も湧いていて平賀源内が著書の「物類品隲」や江戸の薬品会でこの温泉を火傷に効くと紹介していたそうで、道の駅ことなみ内にあるエピアみかどという日帰り温泉施設では「源内ゆかりの温泉」というキャッチフレーズをつけています。
琴南4












また、この明神川を竜王山側へ登ったところにある横畑という集落があります。
この横畑には源平の合戦から逃げ伸びた平家の落人が隠れ住んだという伝承があります。
(参考出展:まんのうネットのブログ様「平家落人伝説残る横畑集落 (゜-゜)」より)
琴南3










この伝承は琴南町誌にも書かれているようで、目次にもしっかりと記載されています。

他にも琴南町には中寺廃寺跡首切峠もあるのですがいっぱいいっぱいになってしまったので今回はここまでということで・・・。
次回は中四国のラストかな?鳥取県になります。
更新は・・・来週末にできればいいかな?と(´・ω・)
それでは。
記事書いてる間に11月になってしまった・・・。

山口県代表・伊保庄高校

今回からスパム対策のためにコメント欄に一手間加わりました。
以前から穏乃の靴の記事に延々スパムが送られてくるので・・・。
これでも改善がなかった場合はおそらく承認制になります。
お手数おかけしますがよろしくお願い致します。

今回は山口県代表・伊保庄(いほのしょう)高校の紹介になります。
伊保庄1












由来となった地名は山口県柳井市伊保庄。
柳井市は山口県の南東部にある人口約3万人強の都市です。
市内には重要伝統的建造物群保存地区に指定されている白壁の町並みがあり、ここでは映画で実写化されたときめきメモリアルの撮影が行われていたそうです。
伊保庄2












伊保庄はこの赤い部分、熊毛半島(室津半島)に入ったところにあります。
このあたりは元々は熊毛郡伊保庄村という村で1956年に柳井市に編入されました。
伊保庄の有名なものにはサザンセト伊保庄マリンパークという海水浴場があります。
それから伊保庄の南部にある福井地区・大古庵地区のにある棚田がやまぐちの棚田20選(全部で21個)に選ばれています。
肉用牛を放牧して保全活動や稲作と肉牛の飼育の両立を行っているそうです。
伊保庄4












ちなみにこの福井・大古庵地区は大星山の中にあります。
大星山は標高438mの山で頂上を境目に柳井市の伊保庄と熊毛郡平生町にまたがっています。
この大星山の頂上には風車を利用した風力発電所や展望台には滑り台があるそうです。
淡ちゃんと一緒にこの滑り台を滑りたい方は是非大星山へ。


この伊保庄は平安時代には京都賀茂神社(上賀茂神社)荘園として現在の伊保庄・阿月(柳井市阿月)・佐賀(熊毛郡平生町佐賀)・上関(かみのせき・熊毛郡上関町)の4地区を総称して伊保庄と呼んでいたそうです。
伊保庄3


























この伊保庄という地名の由来は、昔この辺りで1羽の赤鳥が産まれたそうで住んでた人が珍しいということで志賀の都(大津京)へこの鳥を献上した所、帝(おそらく天智天皇)の叡感によって「烏王の庄」また「烏雄庄」という地名で呼ばれ、それがいつの間にか転じて「伊保庄」と呼ばれるようになった・・・という感じで伝えられているそうです。
(柳井市HP「柳井市の歩み(伊保庄)より一部抜粋・意訳」)

今回はここまで。
これで中国四国はあと一ヶ所ずつかな。
今月中には中四国全部紹介したいところです。
それでは、皆様台風には細心の注意を。
何事もなく通りすぎて欲しいものです。

高知県代表・長者野高校

今年も2着かぁ・・・。
でも今年は勝った馬が強すぎた。

久しぶりの本分、地名紹介の記事になります。
今回は高知県代表・長者野高校の紹介になります。
長者野1
















由来となった地名は高知県室戸市吉良川町にある集落。
室戸市は高知県の東南部にあり、台風で度々甚大な被害が起きたことで知られています。
最近は過疎化が進み高知県の11市の中で最少の人口、国内全部の市の中でも下から5番目という人口の市です。(参照:Wikipedia・日本の市の人口順位
長者野2














吉良川町は1959年まで存続した町で吉良川町を含む5町1村が合併して室戸市が誕生しました。
この吉良川町は昔から木材やその木材を活用した「土佐備長炭」などの集積地として栄えた町で、沿岸の街並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されていて保存会による活動も行われています。
長者野4
















ただし長者野はその街並みがある沿岸部(下町地区)ではなく西の川を3~40分ほど上流へ遡った上町地区の中にあります。
この辺りは県の土砂災害危険箇所にも指定されているようです。
かつては小学校と中学校があったのですがどちらも1978年に廃校に。
郵便局も2001年に廃止、バスも廃止になっているようで・・・。
画像で見たのですが、トタン板でできた建物の壁に「長者野」と書かれたところが集落の入口だそうです。
現在は備長炭を作っているがあるそうです。


この長者野にはその昔祭りに紛れ込んでしまった飛脚が泥を投げた娘たちを斬り殺してしまい自分も自害してしまう悲話を伝える泥打ち祭りという民話があります。
この民話の一節に
「ここ長者野は昔から美人の多い所で、吉良川小町といわれ、七浦に知れ渡っていた。」
というのがあり、代表校の地名に長者野が使われたのはこの民話が元になったのかもしれません。
ただ、この民話が室戸市の広報に掲載されたのが2010年の5月号。
全国大会のトーナメント表が出た咲66局が掲載されたヤングガンガンの発売がおおよそその1ヶ月後。
・・・タイミング的にはギリギリかな?
それか昔から立さんが存じていたか、何か別のものが。

今回はここまで。
これで中四国は残り3校・・・なはず。
中四国編が終わったら虫食い状態になってる関東の残りをやっていこうかと考えています。
それでは。
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