何の変哲もない咲の地名紹介

動画を作ったもののブログ版です。さらにわかりづらくなるかも。最近は地名紹介以外の小ネタも多くなってます。文章がgdgdなのは仕様です。当面は不定期更新です。

九州

福岡県代表・新道寺女子高校と安河内さんと江崎さんの出身地をぼんやり考えてみる(11/20追記)

なんか今週も雪とか言ってますが・・・

今回は新道寺女子についてと、哩さんと姫子の中学時代に通っていた生立ヶ里について調べてるうちになんとなく調べ物がそちらに脱線してしまったので、よしこと羊先輩も出身地も少し考えてみました。
まずは新道寺女子の説明から。
新道寺1
由来となった地名は福岡県北九州市小倉南区新道寺。
最寄駅にJR日田彦山線石原町駅があります。
青で斜線を引いている辺りが小倉南区です。
新道寺2
拡大してみました。
この図の赤で囲っている場所が新道寺です。
ちょっと飛び地になっていますがおおよそ石原町駅周辺と平尾台の一部が新道寺になります。
新道寺3

航空写真にするとわかるのですが、山と山に挟まれたところにあります。

域内だと森鴎外揮毫の碑という作家の森鴎外さんが新道寺小学校設立に奔走した域内の名士、山家徳象さんの功績を称えて立てたとされている「山家先生之碑」というのが法円寺にある・・・というくらいですかね・・・。
新道寺小学校は130年以上の歴史を持つ小学校だそうです。
面白そうなもので言えば新道寺から少し平尾台よりにある井手浦地区でしょうか。
3枚目の航空写真の水色で囲った辺りが井手浦地区になります。
ここで毎年1月8日(近年では井手浦公民館で行われているそうです)に北九州三大奇祭の1つと言われている「尻ふり祭り」というものが行われています。

詳しい内容はリンクを貼った北九州市こみみ情報局様の記事を読んでいただいた方がよくわかると思います。
奈良にも奇祭と呼ばれるものがあって高市郡明日香村(憧と初瀬が通っていた阿太峯中学の由来になっている阿太峯神社がある高市郡高取町のお隣)にある飛鳥坐(あすかにいます)神社で行われる「おんだ祭」という奇祭があるそうです。
おんだ祭の内容を見たのですが・・・これ、憧と初瀬は見たのかなぁ・・・w

あとは井手浦川でホタルが見られるそうなのですが、これは後々ホタルにつながるものが出てくるのでそちらで。

話は変わって、今回のもう一つのお題である安河内さんと江崎さんの出身地を自分なりに考えてみたいと思います。
まずは
よしこ
次鋒の安河内美子さん。
安河内さんは、ほぼ福岡県で間違いないと思います。
名字由来netさんによる解説だと
現福岡県北部である筑前、現福岡県南部である筑後の有名氏族、近年、福岡県に多数みられる。河内氏と関連。
とありますし、実際都道府県ランキングを見ても
安河内らん
福岡県しかありません。
安河内性で有名な方で、某「いつやるか、今でしょ!」のCMの予備校の講師の安河内哲也さんと「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士の1人、安河内眞美さんがおられますが2人とも福岡県出身です。
しかも安河内眞美さんは北九州市出身。
ここまで出ると、安河内さんが福岡以外の生まれというのは少し考えづらいような気がします。
もしかしたら家は学校から徒歩圏内という可能性すら。

つづいて
ひつじせんぱい
中堅の江崎仁美さん。
江崎さんも福岡の可能性が高いですが、他県の可能性も多少考えられると思います。
まず江崎さんのこの羊っぽい容姿なのですが、これはおそらく新道寺からほど近く住所の一部が新道寺にもなっている日本三大カルストの1つ平尾台の羊群原(ようぐんばる)をイメージしているのではないでしょうか。
それに江崎という名字も前述のサイトの都道府県ランキングで見ると
えざき
比較的ポピュラーな名字なので場所も多いですが、福岡が抜けて多いです。

ただ、どうしても気になるのがマイヒメコンビの母校生立ヶ里中学。
生立ヶ里1
由来となった地名は佐賀県小城市牛津町乙柳生立ヶ里。
小城市は2005年に小城郡だった4町(芦刈町・牛津町・小城町・三日月町)が合併してできた市です。
生立ヶ里2
青で囲んでいる辺りが生立ヶ里です。
このあたりには佐賀県の重要文化財にもなっている生立ヶ里遺跡で出土した弥生時代の木製品が発掘されたりしています。
で、この生立ヶ里がある小城市と新道寺がある北九州市の繋がりに同じ都市と友好都市協定を結んでいることが挙げられます。
その都市というのが
南九州1
鹿児島県南九州市です。
南九州市は2007年末に川辺町・知覧町・頴娃町の3町が合併してできた市です。
北九州市とはともに「九州」がつくということで2008年の7月に協定を結んだのですが、小城市とはもう少し深い繋がりがあります。
元々平成4年に小城町と知覧町が協定を結んでいたのですがこの2町が協定を結ぶきっかけになったのがホタル。
平成元年に小城町の町議会議員団が行政視察で知覧町を訪問した際に知覧特攻平和会館で宮川三郎さんという特攻隊の一員として戦死された方の話を聞いたことがきっかけで両町がホタルの飼育などで交流を深めていき、平成4年にこの2町で友好都市協定が結ばれてその流れで現在は小城市と南九州市の友好都市協定ということになっています。
南九州市の画像の水色で囲ってる辺りが旧知覧町になります。
北九州市でも新道寺の説明で井手浦川でホタルが見られると書いたとおりおおよそ60ヶ所の河川でホタルを見ることができるそうです。

この繋がりから、江崎さん南九州市(旧知覧町)出身説もごくわずかながらあるかも・・・なんて妄想しています。
もし、(江崎さんの出身地が明かされることは無いと思いますが)江崎さんが南九州市出身だったら使って欲しかったなぁ・・・という声優さんが1人。
やすな
キルミーベイベー・折部やすな役の赤崎千夏さん。
彼女の出身地が南九州市(しかも旧知覧町)なんです。
すでに江崎さんは巽悠衣子さんがやっておられるのでそのチャンスはないのですが、全国編で出て欲しい方だと思います。
永水だと地元でしょうし良いかもしれません。

ちなみに「江崎仁美」で検索をかけると佐賀県エバンジェリストとかいう活動をされている江崎ひとみさんという方が検索に引っかかるので、江崎仁美佐賀県出身説も考えたのですがそれは
偶然
ということで。


今回はここまで。
夜11時から記事を作り始めて今は夜中の3時・・・。
4時間かけた割には中身がゲフンゲフン。
毎回地名紹介の記事にはこのくらいかかってしまいます(中身が伴ってるかどうかは別のおはなし)。
とりあえずもう寝ましょう・・・。
次回もおそらくどこかの高校の地名紹介になると思います。
それでは。

(追記)
諸々あって本日も公開が遅れていた咲公式の新キャスト発表が日付が変わる前くらいにありました。
赤崎千夏さんが狩宿巴役で咲全国編にご出演されることが決まったそうです。
「永水女子の一員になってほしいなぁ」と思っていたので個人的に少し嬉しかったです。

佐賀県代表・能古見高校

成人の日並みの大雪になると言われてましたが、自分のところはほとんど積もりませんでした。

今回は佐賀県代表・能古見高校の説明になります。
1回戦で清澄と当たった他3校のうちの1校です。

高校の名前の由来になった地名は昭和29年まで存在していた藤津郡能古見(のごみ)村からとられています。
昭和29年の4月に能古見村を含む2町3村が合併してできた鹿島市の山浦・三河内地域が能古見村だったと言われています。
能古見1
鹿島市は佐賀県の南部にあります。
能古見4
山浦・三河内地域はおおよそこの位置。
鹿島市の山側の辺りのおおよそ半分は旧能古見村地域のようです。
能古見5
現在でも小学校や郵便局などで能古見の名前が残っていますしこの地域にある馬場酒造場さんが能古見というお酒を作っておられたりもします。

で、この旧能古見村に当たる地域にお酒以外に何かあるかなと探すと2つ面白いものがありました。
1つは浄土山と呼ばれる標高500m程の山。
この山の山頂に鹿島藩(佐賀藩の支藩)十三代藩主の鍋島直彬が書かれた「浄山」の2文字を彫った岩が設置されています。
この鍋島直彬さんというお方、鹿島藩最後の藩主で明治になってからは天皇陛下の側近として仕え初代の沖縄県令に就任したり貴族院議員に第1回帝国議会選挙で選出されてから4度再選されたりしていました。
また晩年には山浦地域に隣接する納富分地域にある誕生院(新義真言宗の開祖・覚鑁さんの生誕の地に建てられた寺院)の復興にも携わっていました。
浄土山は他にも「しずく石」と呼ばれる岩と岩の間に1m程の岩が挟まっている巨石(鍋島直彬さんが浄土山で夕立にあった際に雨宿りとして使われたという説があります)があります。
また浄土山の周辺には十三佛や蓮厳院の岩屋観音もあり、偶然か必然か真言宗と関わりのあるものが多くあります。

もう1つは面浮立(めんぶりゅう)と呼ばれる県の重要無形文化財にもなっている民族芸能があるのですが、これの発祥が鹿島市(七浦音成地区や母ヶ浦《ほうがうら》地区)だそうです。
能古見にも三河内地域の浅浦地区でこの面浮立が行われています。
浅浦の面浮立

浅浦の面浮立の概要をお借りして説明すると

浅浦面浮立は今から約400年前の戦国時代豊後の国大友軍に攻め入られ苦戦に陥った時、肥前の国竜造寺家の家臣が鬼の面にしゃぐまをつけ鉦、太鼓に合せて敵軍に攻め入り見事勝利を収め、その戦勝祝いに踊ったことに始まると伝えられています。
浅浦地区では秋の彼岸の中日9月23日に毎年部落の年中行事として面浮立を踊ります。まず第1に古湯堤に祀ってある水神社に奉納、今年も堤の水のお陰で稲が順調に育ってくれましたとお礼参りをします。それから部落の氏神様である救世神社、先祖の霊を祀ってある元光寺、円福寺に奉納し又家内安全、五穀豊穣への感謝を込めて地区内数十箇所で奉納します。最後に戦没者の霊を祀ってある忠魂碑の前で奉納し一日を終了します。 
情報出典:鹿島市公式サイトより

この浅浦の面浮立のゴールになっている救世(くせ)神社は能古見小学校浅浦分校に隣接していて神社の境内が校庭として使われてる少し珍しい光景が広がっています。
能古見高校のモデルor麻雀部の部室のモデルになっていそうな風景です。

余談ですがこの能古見から武雄市の永松地区に面浮立が伝承され、それを踊っている時の様子を描かれた絵馬が佐賀県の有形民俗文化財に指定されています。
面浮立絵馬

今回はここまで。
今後、今は実在しないかつての地名という場所も増えていくと思います。
掘り返して何か出てくればいいのですが・・・。
次回の地名の説明は九州最後、福岡県代表・新道寺女子高校ですが同時にマイヒメコンビの出身中学である佐賀・生立ヶ里中学も少し説明に入れたいと考えているので時間がかかると思います(説明がなかった場合はごめんなさい)ので小ネタを少なくとも2回挟むと思います。(3回になるかも)
それではまた(´・ω・`)

長崎県代表・根獅子女子高校

明日から2月、2月といえば節分で豆撒いて恵方巻きを食べる季節ですね。
14日は煮干の日です。

今回は長崎県代表・根獅子女子高校の説明になります。
根獅子1

由来となった地名は長崎県平戸市根獅子(ねしこ)町。

根獅子2
平戸市は長崎県の北西部にある平戸島とその周辺地域で形成されている市で九州本土としては最西端の位置にある市です(2005年の合併で九州本土にある田平町が平戸市になったため)。
根獅子町は平戸島のちょうど真ん中辺りのところにあります。

この根獅子、2つ有名なものがありまして1つは「根獅子の浜海水浴場(根獅子の浜)
環境庁が1998年に発表した日本の水浴場55選に選ばれ、以後2001年発表の日本の水浴場88選・2006年発表の快水浴場百選にも続けて選ばれている平戸を代表する海です。
そしてもう1つが本題になるのですが、根獅子は生月島と並ぶ隠れキリシタンの里と呼ばれています。
日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルが鹿児島の次に布教の為に訪れたのが平戸で多くの里人に洗礼を授けたそうです。
しかしその後の禁教令による弾圧で根獅子を含む平戸島の西海岸や対岸の生月島で多くの方が殉教し、その後も明治に至るまで厳しい禁教令下にありながら密かに隠れキリシタンの信仰が伝えられてきたという歴史があるのです。
根獅子には先述の根獅子の浜に「昇天石」とよばれる岩があります。
昇天石
この赤丸で囲んだような大きさの岩がいくつかあります。この岩の上で70名強の里人が処刑され殉教したと言われています。
そして処刑された里人の亡骸は海岸から少し離れたうしわきの森(ウシャキの森)に埋葬され、今でも信者の方は聖地としてこの森を訪れた際には裸足でお参りをしていると言われています。

なかなか自分の言葉で説明するのが難しいので、もっと詳しく知りたいという方向けに参考になる文献を2つ置いておきます。
平戸市切支丹資料館・切支丹/平戸地方のキリスト教歴史
根獅子ブログ様(根獅子出身の市議会議員の方のブログですが隠れキリシタン関連の参考になるお話がいくつもあります)
もしかすると、この中から咲に出てくる人や高校につながるものが見つかる・・・かもしれません。
自分はちょっと見つけられませんでした(´・ω・)
もっと精進せねば・・・。
他にも根獅子女子に関してはさくやこのはな様が紹介されているのでこちらの記事も是非。

今回はここまで。
次回は佐賀県代表・能古見高校・・・の前に小ネタ兼紹介として千葉MVP・霜埼絃さんの須和田高校を先にやりたいと思います。
順番決めずにやろうかな・・・とりあえず2月までに九州は全部紹介・・・するつもりでいます。
それでは(´Д` )

大分県代表・観海寺高校

寒い日が続きますね。
こういう日はあったか~いお風呂に長々と浸かっていたいものです。
今回は大分県代表・観海寺高校です。

観海寺
由来となった地名は大分県別府市観海寺。
上記のAの位置が観海寺です。
拡大してみましょう。
観海寺2
JR日豊本線別府駅から車で10分強くらいの場所にあります。

別府といえば温泉で有名な場所ですが、観海寺は別府八湯と呼ばれる市内にある8つの温泉地の場所の1つです。
観海寺という地名の由来は奈良時代に国東半島に多くの寺院を開基した任聞さんという僧が713年にこの地に建立した清湯山観海寺から。
山の斜面にある温泉地ということで別府湾を見下ろす景色が非常に良く江戸時代に作成された豊後国誌にも「観海寺に行くには交通は極めて不便だが、景勝は壮観なので浴客が盛んに訪れている」と記されているほど。
温泉としての歴史も古く、後白河法皇が湯治の為に観海寺を訪れたという話も。
また、後白河法皇の三女・式子内親王も晩年をこの地で過ごしたという一説もあり御墓もこの地域にある観海禅寺にあります。(wikipediaには「史実としてはありえないが・・・」と書かれていますが・・・)

大分県は自然エネルギーの自給率が全国トップなのですがこの観海寺地区にある杉乃井ホテルは日本で最初の自前で地熱発電所を持つホテルとして有名で、施設のほとんどの電気をこの地熱発電所で賄っているそうです。
選手としては・・・別府市は就業人口の8割が第三次産業に従事しているということなので三箇牧の荒川さんみたいなニコニコした感じの選手とかいそうだなぁ。
あとは別府市に生まれた有名人に「神様仏様稲尾様」で有名な大投手稲尾和久さんがおられるのでそういう絶対的なエースがいたりするのでは?(ただし今回のインハイは初戦敗退ですが)

今回はここまで。
次回は長崎・根獅子女子高校の説明です。
ただ、他のサイト様で紹介されてるところがありますので似たような感じになると思いますのでその点はご了承の程を・・・。

熊本県代表・郡浦高校

13話が配信されていますが、面白いですね。
地名紹介は九州に戻って熊本県代表の郡浦(こおのうら)高校です。

由来の地名は熊本県宇城(うき)市三角町郡浦。
宇城市は2005年に5町が合併してできた市で郡浦は旧三角町にあります。
郡浦2
宇城市の場所は地図で赤くなっているところです。
赤ペンで塗ってあるのは旧三角町のおおよその場所です。
郡浦1
そして郡浦はこの辺りになります。

この郡浦には郡浦の天神樟と呼ばれる県の指定文化財になっている巨木があります。
樹齢は1000年を超え大正末期には根元に拝殿も建てられ田植えの根付祭りなどが行われているそうです。
また、その近くにある郡浦神社には明治初期に起きた神風連の乱に参加した6人の兵士がこの神社を参拝した後大岳山頂で自刃したことを伝える碑があります。
他にも天草四郎が天草で一揆を起こした際にも郡浦の地名が出てきます。
情報出典・天草四郎の足跡

旧三角町はみかんの生産地として有名なのですが、郡浦独自の特産品として黒砂糖があります。
江戸時代に郡浦に伝わり昭和の中頃までは盛んに作られていたそうです。
その後、諸々の事情により廃れてしまったのですが最近になって小学校の体験学習で黒砂糖作りを体験したり道の駅にある物産店で黒砂糖や黒砂糖羊羹などを販売するなどもう一度盛り上げようという活動が起きています。
20120427140657
黒砂糖LOVEな春さんには是非一度訪れていただきたいw

モデル校は・・・無いと思います。
おそらくパワースポットとして紹介されている天神樟が郡浦が使われた大元になっているのでしょう。

今回はここまで。
次回は大分県代表・観海寺高校の地名紹介になります。
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