花粉症が治まったかなぁと思ったら風邪が引き金かまた鼻がズルズルと・・・

今回は西愛知代表の苅安賀高校です。
栢山4











2回戦で新道寺・白糸台・栢山学院と対戦していた高校です。 
池田ァが「なかなかだし!」とも言っていましたね。
おそらくこの塞さんみたいなおだんご頭の子が苅安賀だと思われます。 
苅安賀2













由来となった地名は愛知県一宮市苅安賀。
池田ァがかりやす「が」と言っていましたが実際の地名はかりやす「か」です。
あとで久保コーチにしっかり指導してもらいましょう。 
一宮市は愛知県の北西部にある都市で木曽川を挟んで岐阜県と隣接しています 。
2006年までは同じ愛知県内に一宮町(現在は豊川市に編入)があったため区別するために尾張一宮とも呼ばれています。
(一宮町の方は三河一宮)
苅安賀1












苅安賀はおおよそこの辺り。 
名鉄尾西線の苅安賀駅もこの中に入ります。

この苅安賀駅の近くに苅安賀自動車学校という教習所があるのですが、ここの片隅に苅安賀城址の石碑があります。
戦国時代~安土桃山時代、この辺りに 苅安賀城があったそうです。
1561年に浅井長貞が築城した苅安賀城は長貞の死後、息子の浅井長時(田宮丸)が後を継いだのですが織田信雄家臣でありながら羽柴秀吉に内通したとされ信雄に呼び出された上討ち殺されてしまいます。
このあと信雄は徳川家康と同盟を結び、小牧・長久手の戦いへと発展していきます。
この小牧・長久手の戦いでは信雄・家康軍の居城として尾張西部方面で重要な役割を果たしたようです。
また1590年の小田原討伐の際には秀吉の命で小早川隆景をこの苅安賀城などに置いて尾張地方の守備や後方の補給路確保などを任せたそうで、小田原市にある栢山学院と苅安賀にはちょっとした繋がりがあったようです。
(参考出展)
wikipedia・苅安賀城小牧・長久手の戦い

今回はここまで。
次回は3話でも出てきましたし、お隣ですし、岐阜へ行きましょうか。
その予定でこれから考えます。
それでは。