地名紹介の記事は3週間ぶりになります。
今回は京都府代表・八桝(やます)高校の紹介になります。
八枡1














由来となった地名は京都府京都市左京区花脊八桝(はなせやます)町。
左京区は京都市街地の東北方、鴨川の東岸から北方の鞍馬などの山間部を含む広大な面積を有し、滋賀県と隣接する場所にあります。
八桝2












花脊八桝町はその山間部、府道38号線をひたすら北上したところにあります。
途中、鞍馬寺を通りすぎますが、そこからぐんぐん山道を登っていきます。
どんな感じなのかは

この府道38号線を走破した車載動画を見ていただければ大体の雰囲気は掴めると思います。
八桝を含む花脊地区はPart1の後半からPart2の冒頭辺りに出てきます。
この花脊地区は昭和24年に京都市左京区に編入合併されるまで愛宕(おたぎ)郡花脊村という村でした。
八桝3














範囲としてはおおよそこんな感じ。
八桝を含め4つの地区があって、現在も「花脊○○町」という形で残っています。
八桝自体はあまり目立ったものが無く(花脊山村都市交流の森という施設がある程度)で八桝小学校という学校があったのですが、こちらも2007年に廃校になってしまったようです。
ただ、八桝の北にある花脊原地町にある大悲山峰定寺(だいひざんぶじょうじ)というお寺が少し繋がりがある感じなので併せて紹介しようと思います。

峰定寺は1154年に鳥羽上皇の勅願により西念という僧が創建した修験道系の山岳寺院で、本堂や仁王門の造営には信西(藤原通憲)と平清盛が当たったと言われています。
西念自身が大峯山や熊野で修行を積んだ修験者で、大悲山の中にも行場が点在し古くから修行の場であったことから「北大峯」と呼ばれていたそうです。
元々、この峰定寺が出来る前からこの辺りは「北方浄土」と言われていたそうで昔からそういった山岳信仰の対象として崇められていたようです。
大峯山は広義では阿知賀の舞台となった吉野山を含む大峰山脈を指すと場合もあるそうで、その吉野と熊野を結ぶ修行のための道として大峯奥駈道という道もあります。
峰定寺は一時期荒廃していたものの江戸時代に再興されそれ以降は同じ左京区にある聖護院の本山修験宗の寺院になったそうです。
ちなみに、この聖護院を創建したのが園城寺の僧だった増誉。
左京区には、高鴨神社を総本社とする賀茂神社の1つである下鴨神社もあります。

峰定寺の境内には「俊寛僧都供養塔」というものがあります。
俊寛は平安時代後期の僧で鹿ケ谷の陰謀で鬼界ヶ島に流されそこで命を絶ったと言われています。
実はこの俊寛が流された後、妻子が身を隠し、また妻子ともに亡くなったとされるのがこの大悲山周辺であったそうで、それが俊寛の供養塔がこの峰定寺に建てられた理由だと思われます。
この鬼界ヶ島の場所というのも諸説あって、その中にある鹿児島県の喜界島・硫黄島は永水女子の滝見さんの出身地と言われています。(参考出典:咲-Saki-ほんだし様「サキビアの泉」)

この峰定寺、日本最古の舞台造り(懸造り)で建てられた建築物だそうです。
ちなみに積雪の関係で12月~3月は閉門されています。
また、4月~11月の間でも悪天候時は入山不可、子供や20名以上の団体も入山不可という厳しい決まりがあるようです。
訪れる機会がある方は御注意を。

今回はここまでです。
八桝は阿知賀・千里山・永水女子と繋がりがある場所・・・かもしれません。(千里山はかなり強引ですが)
次回は近畿のラスト、滋賀県代表・富之尾高校の紹介の予定です。
それでは。

今回の記事の参考出典
京都観光Navi様「観光ルート:花背から大悲山へ」
平家物語・義経伝説の史跡を巡る様「大悲山峰定寺 (俊寛僧都供養塔) 」
京都を感じる日々★古今往来Part1・・・京都非観光名所案内様「峰定寺(ぶじょうじ) 」