咲全国編、来年の春ですか。
新情報がいろいろ出てきますね。

今回はブロック4Bの最後の1校、和歌山県代表の和深高校です。
和深1















由来となった地名は和歌山県東牟婁(むろ)郡串本町和深。
串本町は本州最南端にある町で近畿地方の天気予報でよく見かける潮岬もこの串本町にあります。
串本町は明治40年に串本村から串本町に変わったのが元で串本村時代から西牟婁郡の属していたのですが、2005年に東牟婁郡古座町と合併して新しい串本町になった際に東牟婁郡に移ったそうです。
ちなみにこの旧古座町出身の有名人に明石家さんまさんがおられます。
和深2












ちなみに和深はこの位置。串本町の西側にあります。
和深自体はあまり目立ったものが無く、牟礼山という400m弱の山がきれいな円錐形の形をしているために和深富士と呼ばれて旧和深小・旧和深中の校歌の中で歌われていたというくらいでしょうか。
ただ、和深には漁港があり釣りのスポットとして知られているそうです。
また大正末期に起きた良栄丸遭難事故という乗組員全員が亡くなってしまった海難事故で、遭難してしまったこの良栄丸の船籍があったのが当時の和深村だったそうです。

串本町全体に目を広げると、串本町の海岸部は吉野熊野国立公園の一部に指定されています。
吉野熊野国立公園は大きく分けると山・河・海と分けることができるのですが、山の部分は阿知賀女子のある吉野山が北端になっています。
他には串本町江田にある徳大明神社には丸い石が境内にいくつか置かれています。
説明を見ると、熊野は山梨の甲斐地方についで丸石を信仰する風習が多く見られる地域だそうで、この徳大明神社のほかにも那智勝浦町の飛瀧神社(ひろうじんじゃ、熊野那智大社の別宮で拝殿の代わりに那智の滝を直接拝む神社)の「光が峯遥拝石」や田辺市本宮町の乳子大師の「乳古良(ちごら)石」や奈良県十津川村の玉置神社の「玉石社」など丸石を信仰する風習が熊野に根付いている証のようなものが多く見られます。
(参考出典)
きのくに風景賛歌様:徳大明神社と丸石信仰
巨石巡礼様:玉置神社と丸石

今回はここまで。
この丸石信仰から何か無いかなぁとか考えたのですが思いつきませんでした・・・。
次回は小ネタで「君の瞳にシャープシュート☆」様が書かれていた宮永照のギギギーってなんだ?とモロ被りになりますが、府中に関わりのあるものから考える宮永照の「ギギギ」的なものを書くと思います。
早ければ今週の木曜日、遅ければ来週の今頃の更新になると思います。
それでは。

追記
本日祖父が他界しました。
先月祖母が亡くなって1ヶ月ちょいですか・・・立て続けに祖父も逝ってしまいました。
更新に関してですが、このあと葬儀とか諸々ありますので3月中の更新はありません。
次回は4月に入ってからになります。
次回の記事は宮永照のギギギについての予定でしたが、予定を変更して以前教えていただいた動画の紹介をしようと思います。
ギギギに関してはその次にやる予定です。
そのあとはまた3校程の紹介→小ネタという流れになるんじゃないかなぁ・・・と。
3月はあまり記事を書けませんでしたが、4月からまたボチボチ書いていこうと思っています。
申し訳ありませんが、今後ともよろしくお願い致します。
それでは。