立さん負傷・・・
ゆっくり休んでしっかり治して戻ってきていただきたいものです。

阿知賀19話、皆様のいろんな感想が上がっていますが自分的にはやはり新たに出てきた学校の地名に目がいってしまうもので。
多治比さん
今回は松庵女学院と多治比さんです。
まずは地名から。
松庵1

由来となったのは東京都杉並区松庵。

松庵2
この赤い部分が松庵地区です。
杉並区の西南部に位置していて武蔵野市と隣接しています。
この杉並区には全国に400社あるアニメ制作会社のうち、おおよそ70社が集中しているアニメ産業集積地の1つで、区にも「産業経済課アニメ係」が設けられているそうです。
杉並区にある制作会社はサンライズ・シャフト・A-1 Pictures・阿知賀編を制作しているStudio五組・制作協力されているNOMADなどがあります。

モデル校は高校名から松庵地区の僅か外にある立教女学院(杉並区久我山/卒業生に野際陽子さん・市毛良枝さん・松任谷由実さんなど)だと思われます。
松庵という地名は江戸時代にこの辺りの開拓を指導した荻野松庵という医師から付けられたそうです。
ここに西高井戸松庵稲荷神社という神社があります。
この神社には狐のミイラを祀った小祠があって、その由来は

昔、当稲荷神社の西側に円光寺と言う寺がありました。そばに大きな築山がありまして、 狐が穴を掘って小狐を育てていましたが、お寺が廃寺となり、明治30年頃、築山を取り去りましたので、
親狐は子狐と別れる悲しみのあまり、前足をくわえたままの姿で拝殿の床下から発見されました。
昭和9年に西高井戸・松庵両稲荷神社を合祀するに当り、本殿を造営し、さらに昭和36年末社を
建て、古来からお稲荷様のお使い姫と言い伝えられるこのお狐様をおさめてお祀りしております。

出典・西高井戸松庵稲荷神社HP
ということだそうです。

松庵に関してはここまでとして、ここからは多治比さんについて。
多治比さんという名字の方が現在どのくらいおられるのか名字由来netさんで調べてみたところ
たじひ
というかなり希少な名字だということがわかるかと思います。

で、この「多治比」という名字がどこから来たかというと多治比縣守(たじひのあがたもり)という奈良時代に武蔵国守としてこの辺り一帯を統治していた人物からとられたのでは?と考えています。
杉並区も元々は武蔵国の一部で明治・大正時代は東京市15区の中には入ってなく豊多摩郡杉並町という町で1932年の東京市の大合併により編入され杉並区になったそうです。
この多治比縣守は716年に遣唐押使(遣唐使)に任命され718年に使節団に犠牲者を出すことなく帰国するという業績をあげ翌年に新設された按察使(あぜち)の一人として武蔵国守に任命されています。
その後も720年に起きた蝦夷の反乱が起きた際に征夷将軍としてこの乱を鎮圧したりもしています。
(この件から縣守が初代の征夷大将軍ではという説もある)
Wikipedia・多治比縣守

多治比さん、このシーンのあとにものすごい表情をしていますがなかなかの強豪だそうなので今後も出てきてほしいな・・・。

今回はここまで。
次回はこの流れで白糸台やろうかな・・・とか考えていたのですが、ちょっと思うことがあって小ネタやります。
まぁ、今ちょっと個人的なことで記事の作成とか何かやってないと気が保てないので・・・。
ではこのへんで。