まずは、先の熊本で起きた地震で亡くなられた方々にお悔やみ申し上げますとともに、被災された方々に対し心よりお見舞い申し上げます。
咲においても熊本代表の郡浦高校がある宇城市で大きな被害が出ているので、自分も出来ることは限られますが毎月少しずつでも募金をしようかと思います。

咲・シノハユ・咲日和の新刊は発売日直後に購入しましたが実はまだ買ったままの状態です・・・。
次の記事を書くまでには少し落ち着くはずなので早く読めたらいいなと(;´Д`)
それから、千里山のスピンオフが始まるみたいでこちらも楽しみにしています。

 
今回からシノハユを中心とした過去の方の地名を少しずつやっていこうということで、今回は小鍛治さんの小学校を見ていこうと思います。
舟塚山1

















由来となっているのは茨城県石岡市にある前方後円墳「舟塚山古墳」。
場所はふくやかにすこやかにのシーンで出た場所の駅の反対側にあります。
規模としては茨城県で最大、関東でも太田天神山古墳に次いで2番目の大きさだとか。
ふくやかにすこやかにの巡礼の際に訪れやすい場所にあります。
この舟塚山古墳の成り立ちを色々見てみると小鍛治さんの背景っぽいものがいくつかあったのでちょっと走り書き程度に書いてみます。

舟塚山古墳に埋葬されていると言われているのが初代の茨城国造の筑紫刀禰という人物。
この茨城国造が統治していたのが石岡市・笠間市を中心に水戸市や土浦市・つくば市の一部とだったとか。
すこやん3











石岡・土浦・つくばといえば小鍛治さんが生まれ育った地・高校の地・現在プロとして活動している地に該当します。
また、この筑紫刀禰の祖先と言われているのが天津彦根命(アマツヒコネ)。
アマツヒコネは天照大神がスサノオとの誓約の際に勾玉から生まれた男柱5柱の1柱だそうで、この5柱の中には出雲国造の始祖と言われている建比良鳥命の親とされているアメノミホもいます。

筑紫刀禰の親と言われている建許呂命もアマツヒコネの子とされていて、この建許呂命が初代の石城(いわき)国造と言われています。
以前土浦女子と小鍛治さんの記事で小鍛治姓は福島に多いということを書きましたが、もしかするとこの流れを組んでいるのかなぁと少し考えたり。
また、この筑紫刀禰は福岡から呼ばれてこの辺りに来た説(と筑波山の別名「紫峰」に由来がある説の2つ)があって実業団時代に博多にいた赤土さんも引き合う何かがあった・・・のかも?
(筑紫刀禰に関しては古代史探求感様茨城のルーツ様にかなり詳しく書かれているので読んでいただけたら・・・)
舟塚山古墳の訪問記も一萬人の麓路() 様が訪問されておられますのでこちらも。
こうして舟塚山を調べていると、小鍛治さんが何か磁石のように色んな人物を引き込んでいく存在のように見えてきます(たぶん自分の中だけ)。


久しぶりにこうした地名紹介の記事を書いたのでなかなか感覚がつかめていませんが今後もこんな感じでgdgdと書いてみます。
次はたぶん早くて6月以降になるかな、と思います。
それでは。