その日に自転車を壊されました・・・。
まだ新巻買えてません・・・。
新巻買う前にお財布の中身がスッカラカンとかそんなん考慮しとらんよ・・・。
今回は愛媛県代表の大生院(おおじょういん)女子と大生院女子出身の戒能プロについて書こうと思います。
由来となった地名は愛媛県新居浜市大生院。
新居浜市は愛媛県の東部に位置する市で住友グループが発展した礎となる別子銅山があるなど工都新居浜と呼ばれています。
県内3位の人口の多さで、新居浜市出身の有名人も藤田元司さん(野球)・福西崇史さん(サッカー)・鴻上尚史さん(演出家)・石丸幹二さん(俳優)・水樹奈々さん(声優)など多数おられます。
大生院はこの位置。
新居浜市の西側にあり西条市と隣接しています。
この辺りは昭和30年まで新居(にい)郡大生院村という村でした。
この大生院という地名は、この地にある正法寺というお寺の別名(正法寺の前の名前?)である「往生院」から名付けられたと言われています。
(参考出典:真言宗御室派石鉄山正法寺様「正法寺の歴史」)
この大生院は黒森山の中腹までが領域なのですが、この黒森山の先に笹ヶ峰という山があります。
この笹ヶ峰は石鎚山脈の山で山頂には蔵王権現と不動明王が祀られている修験道の山で昔はこの笹ヶ峰が石槌山と呼ばれていたという説もあります。
ふと思ったのですが、最近調べた地名には修験道に関わりのある場所が多い気がします。
この笹ヶ峰を調べている時にこの山を登った方のブログを多数見かけたのであちこち覗いてきましたが、壮観な写真がいくつもありました。
ちなみに山頂付近は森林限界を超えるようです。
続いてOGの戒能プロについて。
名字の戒能は平安末期頃~戦国時代まで松山周辺を統治していた河野氏(元寇{弘安の役}の「河野の後築地」で名を馳せた河野通有など)の配下の武将だった戒能氏から取られたものと思われます。
このことから、戒能プロは大生院より松山に縁がある人物であると推測できます。
松山市に隣接する東温市にはこの戒能氏一族の庵があります。
ここには戒能氏一族のお墓が建てられているのですが、その片隅に墓守桜と呼ばれているかなり古い一本桜があります。
この桜は大通庵エドヒガンザクラとして市のHPや雑誌でも紹介されるようです。
戒能プロといえば、永水女子の滝見さんと従姉妹同士という間柄。
永水女子の5人の名字は日本五大桜から付けられているというのは咲-Saki-ほんだし様のサキビアの泉など多くのブログ様で記事になって広まっているのですが、滝見さんの元になっている福島の三春滝桜とこの戒能氏の大通庵に咲く墓守桜は種類が同じエドヒガン系の桜だったりします。
もっとも、三春滝桜の他に神代さんの元である山高神代桜と薄墨さんの元になっている根尾谷の淡墨桜もエドヒガン系なのであまり特別なものでは無いのですが・・・。
もう1つ、戒能プロは長野県の生まれで愛媛に来たという設定になっているのですが、これは法学者で小繋事件(岩手県二戸郡一戸町小繋で起きた約50年闘争が続いた事件。この辺りにはIGRいわて銀河鉄道小繋駅があり、一つ先の小鳥谷{こずや}駅の近くには姉帯さんの名字の由来になったと思われる二戸郡一戸町姉帯がある)では農民側の弁護人になった戒能通孝さんという方が長野県出身で本籍が東温市が出来た際に合併した町の1つである川内町だったことがモデルになっているのでは・・・?と考えています。
なお、戒能通孝さん自身は愛媛に足を踏み入れたことがなかったそうです。
(参考出典:(8)戒能氏のルーツを訪ねて)
(5月18日追記)
立さんのHPにより、戒能プロの生まれが長野というのがカードの誤植だったことが判明しました(´・ω・`)
今回はここまで。
大生院より戒能さんの方がメインになった感じがしますが気にしない方向で。
次回は一旦近畿に戻って荒川さんの三箇牧高校の紹介をしようかな・・・と考えています。
それではこの辺で。